風来坊参男坊

思い付くまま、気が向くまま、記述する雑文。好奇心は若さの秘訣。退屈なら屁理屈が心の良薬。

数え年と満年齢 

2007年01月27日 09時41分54秒 | 随想

数え年は生まれた時点の年齢を1歳とし、以後、元日が来るたびに1歳を加算する日本方式に対し、満年齢は生まれた時点の年齢を0歳とし、以後、誕生日が来るごとに1歳を加算する西洋方式である。

戦後の日本では満年齢が一般的である。例えば、1998年4月1日に生まれた者は2004年3月31日が終了する瞬間に満6歳に達するから、その保護者は、翌日である同年4月1日以後における最初の学年の初め、つまり2004年4月1日から、その子女を小学校等に就学させる義務を負う。

1998年4月2日に生まれた者は2004年4月1日が終了する瞬間に満6歳に達するから、その保護者は、翌日である同月2日以後における最初の学年の初め、つまり2005年4月1日から、その子女を小学校等に就学させる義務を負うことになる。

日本と西洋で年齢に対する考え方が違ってくるのは何故なのか。農耕民族と狩猟民族の違いが原因であろう。農耕民族は春に種を蒔けば九分九厘秋には、収穫できる。だから夫婦に子が宿ると、元気に誕生すると思う。狩猟民族は獲物を仕留め、家に持ち帰るまでは自分のものではない。だから子供が生まれた時点で、初めて子と認めるのだろう。島国の外敵がいない平和な日本なのである。

競走馬の年齢(馬齢)も、最近まで数え年によっていた。しかし2001年からは、馬齢の国際表記に従って、生まれた年を0歳、1年目を1歳(すなわち、数え年から1を引いたもの)とすることになった。ただし、歳をとるのは現在も一律に1月1日であり、馬齢の表記を「満年齢」であると表現するのは誤りで、「明年齢」と言っている。

年齢は言葉の遊びで、事務処理の道具に過ぎない。大切なのは、個人の心の有様である。マッカーサー元帥が座右の銘としていた、無名の作詩家サミエル・ウルマン(アメリカ)の『青春』の詩にある「青春とは人生のある期間を言うのではなく心の様相を言うのだ」。年齢を考えずに、毎日を充実した日にすることが大切である。


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