風来坊参男坊

思い付くまま、気が向くまま、記述する雑文。好奇心は若さの秘訣。退屈なら屁理屈が心の良薬。

極楽食堂と地獄食堂 17号

2007年01月28日 05時57分54秒 | 随想
仏教には次のような説話がある。極楽の食堂と地獄の食堂とはまったく同じ造り、同じテーブル、同じ食器、同じ料理の盛り合わせになっていて、食事の時間がくると極楽の人々も地獄に落ちた人々も大勢が食堂に集まる。食事を摂るにはただ一つ条件がある。それは非常に長いお箸だけでしか食べてはいけないということ。片手には箸が縛ってあり、片手は椅子に縛られている。極楽の住人は健康で笑顔であるが、地獄の輩は痩せ細り怒りの表情である。同じ環境で違いが出るのは何故だろう。

そうなのだ。心の有様の違いなのである。極楽の住人は、まず相手に食べさせることを考える。お返しに相手は食べさせてくれる。地獄の住人は自分だけ食べようとして、相手を配慮することが出来ない。地獄極楽は心が造るのである。忘己利他が極楽で、我利我利亡者が地獄である。

世間では物と貨幣の物物交換が普通に成ってしまったが、本来は心と心の思いやりでなくてはならない。購入する人は物を作る大変さを思い、売却する人は貨幣を得る労働の苦労を気遣う心のやり取りである。マネーゲームは地獄で、贈答文化(心のキャッチボール)は極楽である。そして短絡的な物と貨幣の交換よりも、物と物の交換の連鎖が素晴らしいのである。その過程が切磋琢磨の勉強であり、人と人の繋がりが出来る。「安価は美徳」のスーパーマーケットは便利であるが、会話のある対面販売の個人商店が懐かしい。

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