風来坊参男坊

思い付くまま、気が向くまま、記述する雑文。好奇心は若さの秘訣。退屈なら屁理屈が心の良薬。

禅の発想 20号

2007年02月02日 13時48分06秒 | 随想
禅の高僧の話を拝聴した経験がある。世間の常識とされる解釈と違っている。だから悩める社会人には救いとなるのである。話の面白さに気が付く感受性が必要であるが。
電車に女性専用車両が出来た時には、良い事であると思ったのであるが、坊様は怒っている。男性差別であると言うのである。痴漢は男で、被害者は女と決めることは、女尊男卑で不平等であり、魅力的に着飾っている女に触れたくなるのは男として自然である。女も本性は男に触られたいのである。触らないと子孫が出来ない。大部分の男は理性で抑えている。女がいなければ痴漢にならないから、男性専用車両を作って当然であるとの発想である。女を寄せ付けない坊様の発想だから説得力があり、真実である。大臣が同じ発言をしたら、女性から文句が出て、辞職に追い込まれるであろう。多くの人は自分の考えを主張することを控えている。本音と建前を使い分けることが出来る二枚舌人間が優秀な指導者なのである。だから世間は堕落する。
競争社会が生活格差を拡大したとする世間常識がある。坊様はもっと競争しないといけない、すると生活格差が減少すると言う。競争の相手が違うのである。他人が競争相手ではない。他人との比較競争が生活格差を生んでいる。真の競争相手は自分自身なのだ。私の中には二人の私がいる。勤勉なる私そして怠け者の私。その二人の私と格闘して100%勤勉なる私のみの人が指導者である。しかし豊かな日本の物欲快楽が、他人比較の競争で事足り、世間は平和である。個人の人間力を高めることが急務だ。良質な個人の集合の国は良質である。良質な個人は感謝の気持ちで、お陰さまで生かされている自分に気が付いて、自己責任で利他の行動が出来ている人である。以上のように坊様は述べている。
多くの坊様の話を聞いたり、読んだりする。大局では仏教であるが、それぞれの坊様で切り口が違う。坊様は一人一稼業なのである。学校の先生の教育は文部省のマニュアルに従った話であるから、優秀な先生の話は同じになる。その意味で話す機械である。坊様の話はテキストの無い自由人の気儘な話で、世間の常識の盲点を指摘するから、法律を遵守する国民には面白いのである。しかしその立ち居振る舞いは、伝統に従ったロボットの動きである。


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