京都新聞の記事である。
『天台宗の荒行「千日回峰行」で断食、断水、不眠、不臥のまま9日間、堂にこもる「堂入り」の行に入っていた星野圓道さん(32)=延暦寺大乗院住職=が21日未明、満行して比叡山の無動寺谷・明王堂(大津市坂本本町)を出堂した。堂入りの満行は6年ぶり、戦後12人目。
午前1時、星野さんは本尊の不動明王に供える水くみ「取水」のため、堂から姿を現した。約40分かけて近くの閼伽井(あかい)を往復し、再び堂に入っって最後のお勤めをした。このあと、堂に隣接する法曼院の井深観譲住職や信者が堂へ入った。井深住職が結願の証明を読み上げた後、星野さんは断食後初めて薬湯「朴の湯」を口にし、本尊を3周して13日以来続いた行を終えたという。
午前3時前、堂の正面の扉が開かれた。星野さんのほおはこけ、両脇から僧侶に支えられて自坊へ向かった。冷たい風が吹く中、縁者や信徒約600人が境内を埋め、「生き仏」となった星野さんに手を合わせた。泣きながら不動真言を唱える女性も多く、厳粛な雰囲気に包まれた。
堂入りは、700日の回峰を終えた行者が堂にこもって不動真言を10万回唱え、不動明王と一体となることを目指す。
星野さんは来年、赤山禅院(京都市左京区)を往復する赤山苦行、最終年の前半は京都市内を回る「大廻り」に臨む』
阿闍梨はサンスクリットでアーチャーリャ、意味は弟子たちの規範となり、他を導く高僧のことである。10年前彦根に居住した時に、千日回峰行に魅せられ、光永澄道和尚(かしょう)の護摩供に近江八幡の伊崎寺を訪れて以来、関心を持っているのである。光永澄道師が亡くなられて、初めての当行満で、生まれ変わりかもしれない。回峰行の歴史は絶える事がない。それが伝統である。2年後の大行満を祈っている。
雑学になるが、和尚は生存中は「おしょう」と呼ばれ、亡くなると「かしょう」と言われるようである。
不動真言は「ノウマク サマンダバザラダン センダマカロシャダ ソワタヤ ウン タラタ カン マン」である。
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