弟への鍼の施術おこなった。治療論の構造論ということの大事性、必要性実感した。
1年半ぶりに弟が帰省したので、宿題であった、前回に会ったときにも相談を受けて施術をおこなった、術後の痺れに対しての施術おこなった。
前回の施術時は、鍼灸を学び始めて数ヶ月で、とりあえず鍼が打てて艾柱をつくって灸ができるというレベルでの施術であったので、主に阿是穴(患部の反応のある部位)に対しての施術であった、別の言いかたをすれば、自身のそれまでの手技の施術を鍼灸という形でおこなったものであった、しかなかった。
それに対して今回は、そこから1年半の間に学んださまざまなこと、例えば經絡経穴、本治法・標治法等々、また使う道具にしても少し前から使い出した銀の毛鍼(太さが0.15mmの通常より細いもの)を使っての施術であった。そして何よりも、今回は、脈診等によって証を立てての施術、經絡經穴を使っての施術の実際のイメージがなんとなくではあるが描けてきた、との思いがあっただけに、前回は悪戦苦闘するばかりで手に負えなかった、弟の術後の痺れに対して、何か効果のある施術ができそうに思っての施術であった。
四診(望診、聞診、問診、切診)をおこない、証を立て(腎陰虚)、痺れの箇所から經絡を決めて(脾經と胆經)の施術をおこなったが、痺れに対しての目に見えての効果は出ず......であった。(弟は鍼に対して、過敏といってもいいほど反応が出るので、これは施術時もそうであったし、施術後もそうであったので......自身の実力不足を痛感させられる。)
結果として、1年半の自身の鍼灸術の進歩と思っていたものでは、歯が立たずであったので、「参りました!次に会うときにまで修業しておきます!」となった。
施術後に、あれこれと考えていて思い浮かんだのが、年明けに読んでいた『「医学原論」講義』で説かれる(解かれ)る、「治療論の構造論としての一般的治療論と特殊的治療論」(『学城 第14号』所収)であった。具体的には、「今回の弟への施術で効果が出せなかったのだが、治療論の構造論からすれば、本治法といい標治法というものの、それは全て特殊的治療であり、それが駄目であっても、まだ一般的治療ということがあるのではないか?」ということであった。
そして、治療ということを一般的治療と特殊的治療の二重構造として捉えられてはじめて、「例えば医術であるが、その仕事は病人の健康を完全に取り戻すことにあるのではなくて、健康回復の可能なところまで病人を導くことにあるからである。つまり健康をすっかり取り戻すのが絶望的な病人であっても、医術はなお、有効な方法を見つけて適切な処置を施すことができるのである。」とアリストテレスが説く、技術としての医術が可能となっていくのではないかと思えた。
そう考えると弟に対しての施術も、もう少し何か出来るのではないかとの思いへと成っていった。
1年半ぶりに弟が帰省したので、宿題であった、前回に会ったときにも相談を受けて施術をおこなった、術後の痺れに対しての施術おこなった。
前回の施術時は、鍼灸を学び始めて数ヶ月で、とりあえず鍼が打てて艾柱をつくって灸ができるというレベルでの施術であったので、主に阿是穴(患部の反応のある部位)に対しての施術であった、別の言いかたをすれば、自身のそれまでの手技の施術を鍼灸という形でおこなったものであった、しかなかった。
それに対して今回は、そこから1年半の間に学んださまざまなこと、例えば經絡経穴、本治法・標治法等々、また使う道具にしても少し前から使い出した銀の毛鍼(太さが0.15mmの通常より細いもの)を使っての施術であった。そして何よりも、今回は、脈診等によって証を立てての施術、經絡經穴を使っての施術の実際のイメージがなんとなくではあるが描けてきた、との思いがあっただけに、前回は悪戦苦闘するばかりで手に負えなかった、弟の術後の痺れに対して、何か効果のある施術ができそうに思っての施術であった。
四診(望診、聞診、問診、切診)をおこない、証を立て(腎陰虚)、痺れの箇所から經絡を決めて(脾經と胆經)の施術をおこなったが、痺れに対しての目に見えての効果は出ず......であった。(弟は鍼に対して、過敏といってもいいほど反応が出るので、これは施術時もそうであったし、施術後もそうであったので......自身の実力不足を痛感させられる。)
結果として、1年半の自身の鍼灸術の進歩と思っていたものでは、歯が立たずであったので、「参りました!次に会うときにまで修業しておきます!」となった。
施術後に、あれこれと考えていて思い浮かんだのが、年明けに読んでいた『「医学原論」講義』で説かれる(解かれ)る、「治療論の構造論としての一般的治療論と特殊的治療論」(『学城 第14号』所収)であった。具体的には、「今回の弟への施術で効果が出せなかったのだが、治療論の構造論からすれば、本治法といい標治法というものの、それは全て特殊的治療であり、それが駄目であっても、まだ一般的治療ということがあるのではないか?」ということであった。
そして、治療ということを一般的治療と特殊的治療の二重構造として捉えられてはじめて、「例えば医術であるが、その仕事は病人の健康を完全に取り戻すことにあるのではなくて、健康回復の可能なところまで病人を導くことにあるからである。つまり健康をすっかり取り戻すのが絶望的な病人であっても、医術はなお、有効な方法を見つけて適切な処置を施すことができるのである。」とアリストテレスが説く、技術としての医術が可能となっていくのではないかと思えた。
そう考えると弟に対しての施術も、もう少し何か出来るのではないかとの思いへと成っていった。