「看護の生理学」(薄井坦子 瀬江千史著 現代社)を読み返しはじめた。鍼灸・東洋医学のための生理学の構築の必要性痛感する。
「看護の生理学(1)」の「はじめに」で、医学の生理学はそのままの形で直接には看護の役には立ち難いということ。それゆえに看護の専門性に導かれた生理学が必要であることが説かれてある。
これは、生理学が実際に役立つ、その専門分野の指針となるには、対象たる人間へのその専門分野の関わり方に見合ったスポットライトの当て方で構築された生理学であることが必要である。ということだと思える。
これは例えば、「育児の生理学」であれば、お母さんの子供への関わりの指針となる生理学でなければならない。事細かな解剖生理学など返って邪魔であることでも分からなければならないことだと思う。
そういう観点から、医学の生理学とは違った鍼灸・東洋医学のための生理学の構築が必要とされるし、現在の東洋医学の気血津液や五臓六腑・経絡の問題は、鍼灸・東洋医学のための生理学の構築の手がかりとなっていくべきものであると思える。
その構築のためには、医学の生理学よりも看護の生理学が参考となるのではと思えるが、何よりも、医学の生理学の借用では無くて看護の生理学を独自に創出していった看護界の人々の努力に、医学の生理学の借用と古代中国の生理学?の焼き直しの学びで、鍼灸の生理学としてしまっている鍼灸関係者は猛省すべきではないかと思える。
「看護の生理学(1)」の「はじめに」で、医学の生理学はそのままの形で直接には看護の役には立ち難いということ。それゆえに看護の専門性に導かれた生理学が必要であることが説かれてある。
これは、生理学が実際に役立つ、その専門分野の指針となるには、対象たる人間へのその専門分野の関わり方に見合ったスポットライトの当て方で構築された生理学であることが必要である。ということだと思える。
これは例えば、「育児の生理学」であれば、お母さんの子供への関わりの指針となる生理学でなければならない。事細かな解剖生理学など返って邪魔であることでも分からなければならないことだと思う。
そういう観点から、医学の生理学とは違った鍼灸・東洋医学のための生理学の構築が必要とされるし、現在の東洋医学の気血津液や五臓六腑・経絡の問題は、鍼灸・東洋医学のための生理学の構築の手がかりとなっていくべきものであると思える。
その構築のためには、医学の生理学よりも看護の生理学が参考となるのではと思えるが、何よりも、医学の生理学の借用では無くて看護の生理学を独自に創出していった看護界の人々の努力に、医学の生理学の借用と古代中国の生理学?の焼き直しの学びで、鍼灸の生理学としてしまっている鍼灸関係者は猛省すべきではないかと思える。