MJHA(日本を再び健康な国に)〜東洋医学の実践的理論研究~

MJHA(日本を再び健康な国に)という志で、食・運動(姿勢)・休息(睡眠)に関わる問題等を論理的に説きます。

(討論)「古典に還る」とは(2/2)〜弁証法の問題として〜

2024-11-25 17:18:51 | 鍼灸理論・東洋医学
 コロナウイルス感染症の影響で鍼灸・手技療法の世界も危機的な状況へとなっていっている、と思える。本来ならば、今回のコロナウイルス感染症のごとくに確実な対症療法(具体的には薬やワクチン等)がない時にこそ、東洋医学・東洋医術の出番である筈と思うのだが......。

 それはさておき、「古典に還る」とは、を引き続き説いていきたい。

  「人々は、哲学説のあいだに差異があるのを、真理が進歩してゆく発展過程としてとらえることなく、差異のなかに矛盾しか見ない。 ––––花が咲けば蕾が消えるから、蕾は花によって否定されたと言うこともできよう。同様に、果実により、花は植物のあり方としてはいまだに偽であったことが宣告され、植物の真理としての花にかわって果実が現れる。植物のこれらの諸形態は、それぞれ異なっているばかりでなく、たがいに両立しないものとして排斥しあっている。しかし同時に、その流動的な本性によって、諸形態は有機的統一の諸契機となっており、この統一においては、それらはたがいに争いあわないばかりでなく、どの一つも他と同じく必然的である。そして、同じく必然的であると言うこのことが、全体としての生命を成り立たせているのである。」(『精神現象学 序論』 G・W・ヘーゲル 中央公論社)

 鍼灸の世界でよく言われる、「古典に還る」とはいかなることなのかと考え、その実際に当たってみると、そのことの正当性は納得されるものの、そこには時代性ゆえの不足しているものがある。一つは認識論、もう一つは弁証法である、として前回は認識論にかかわる問題を説いた。
 簡単にまとめておくと、「古典に還る」といった場合に、例えば、『素問』『霊枢』に説かれることを、日本語訳、現代語訳して、それで古典に還った事になるのであろうか。なぜなら古代中国という時代・社会の、人類としては赤ん坊の時代の文章の背後にある認識を、現代人の大人になった我々の認識と同じと考えてはいけないのではないのか。ということである。そしてそこをクリアするには、認識論が求められるのだ。ということであった。

 さて、今回はもう一つの弁証法の問題である。
 学問というものが成立するには、それゆえに東洋医学というものが成立するには、医療実践の積み重ねとその結果としての事実と知識の積み重ねだけでは不足であり、というよりも事実と知識が積み重なっていって膨大になっていくほどに、その事実と知識を扱いかねる事にもなっていく、もちろんそれは、それなりに分類・整理はしていかれるのではあるが、それは言ってみればノウハウレベルの、「腰痛にはここへの施術」「不眠にはここへの施術」といった「ツボ療法」レベルの、事実と知識の分類・整理以上のものへとは成っていけない。
 話は飛ぶが、それら集積された事実と知識の分類・整理がノウハウレベル以上の学問・東洋医学へと成っていく為には、そのことを可能とするあるものが必要とされる。それが(古代中国にあっては、陰陽論と五行説であり現代においては)唯物弁証法である。と竹山晋一郎も考えたのだろうと思える。ここはもしかしたら、もっと単純に、当時のインテリの常識?としての「唯物弁証法で自身の専門分野の革命を!」との思いであったのかもしれないが......。

 それはともかく、唯物弁証法の適用によって、自身の専門分野を科学的な理論として確立するということには二重性がある。ここは初心者レベルでアバウトにいえば、事実から弁証法という一般論へと上がることと、弁証法という一般論から事実へ下りることとである。そしてそれは、自身の専門を持っての、そのまともな修業とともに、という事になる。(ここは、南郷継正が夙に説(解)くところであるので、例えば、『南郷継正 武道哲学 著作・講義全集 第三巻』等を参照いただければ、と思う。)

 しかしながら、これにも歴史性・弁証法性がある。つまり、昭和のはじめ頃の弁証法の常識と現在の常識とは違うものであり。昭和のはじめ頃にあっては、(専門の)事実を弁証法の知識から見ることが弁証法の適用であった、それだけの事でしかなかった。具体的には、「これは現象と本質」「これは物質とその作用」「世界は運動している」「形而上学的」「唯物論」「物自体」等々と、自身の弁証法にかかわる知識から対象の事実を見て答えを出す。のが弁証法の適用であると自身でも思い、周囲もそれで「さすが弁証法を学んだインテリは違うなあ!」と感心しているというレベルであったと想像される。
 これは他の例でいえば、「三平方の定理」を使って一辺の長さを計算して見せるようなものである。しかしながら、本当の弁証法の適用とは、ピタゴラスが苦労して何も無いところから、何らかの法則性があるかどうかすら分からないところから、「三平方の定理」を発見した、導き出したようなもの、と思っていただければ良いと思う。それゆえにまた、対象の構造がそれなりに把握できるまでの、しっかりとした実践が求められるのであるが......。

 ともかくも、弁証法の適用という事にも歴史性・弁証法性があり、昭和のはじめ頃の日本に置ける常識レベルの弁証法の学びと適用ということの理解は、人間でいえば赤ん坊レベルであり、そのレベルでは弁証法による科学的な理論の構築ということは望むべくもなかった。(だから科学的な鍼灸論の構築は不十分なものとなってしまっている。)にもかかわらず、鍼灸の世界では竹山晋一郎以降、当時の弁証法の学び・適用の足らざるところを補って、現代の弁証法の適用によって科学的な鍼灸論・科学的な東洋医学の体系を構築しようとする試みは、竹山晋一郎の志を継いで弁証法による科学的・理論的な鍼灸の発展を志すものは無かったがごとくである。それどころか自身では試しても見ないで「鍼灸と科学は相容れない」との結論を信念レベルで持つことともなってしまっている、と思える。
 
 しかしながら、「古典に還る」とは、古の先人がそれまでの東洋医術実践の積み重ねの結果として積み重ねられてきた膨大な事実と知識を、陰陽論と五行説の力を借りて、その適用によって理論化、体系化することで東洋医学・鍼灸理論を誕生させたごとくに、現代において同じことを唯物弁証法の力を借りて行うことであると、自身には思える。
 そしてそのためには、昭和のはじめ頃の日本の常識レベルの弁証法では不足であったのだから、その足らざるところを踏まえて、いま一度の弁証法の適用による科学的鍼灸論・科学的東洋医学の構築を!ということが求められるべきである、と思う。

【これは今読んでも全くその通りであり、それどころか、現在の自身がこのレベルでの論の展開が出来るか、はなはだ疑問である。

ただ、何時ものことながら、一般論に終始しがちであるのは......まあしょうが無いな】

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