『武道哲学講義(第2巻)』(南郷継正著 現代社)読み返し、新旧二つの弁証法のつながりのイメージが、なんとなくではあるが描けた、と思える。
新旧二つの弁証法とは、いわゆる弁証術とか哲学的問答法とか呼ばれる古代弁証法とエンゲルスによる科学的な、法則としての弁証法。
より構造的には、前者は、議論、討論そのものとそこから次第次第に形成されていったであろう議論、討論の術=弁証術であり、後者は、エンゲルスがヘーゲルの弁証法に学んで、そこから法則として取り出したとされる弁証法の三法則(量質転化、対立物の相互浸透、否定の否定)のことである。
自身にとっては、この二つはそれぞれにそれなりに思うことが出来ても、このどちらもが弁証法であり一般的には同じことの違う側面と説いていただいても、「?」との思いが渦巻くばかりで、これまではつながっていくことはなかった。
しかしながら、『武道哲学講義(第2巻)』を今回読み返してみて、「!」と新旧二つの弁証法のつながりが視えてきた、と思えた。それは、新旧二つの弁証法を空手で考える。ということで視えてきた、と思えた像である。以下、その像である。
端的には、旧弁証法=弁証術とは空手で言えば戦いそのものであり、戦えるだけの人間体を創り上げる過程でもある。それに対して、新弁証法=科学的な弁証法=弁証法の三法則は、武技=突き、蹴り、受けである。そして、新旧二つの弁証法の関係とは、戦う訓練と基本技との関係そのものではないのか!?
というのが、自身の新旧二つの弁証法のイメージ、空手で考えた新旧二つの弁証法の関係性のイメージである。
新旧二つの弁証法とは、いわゆる弁証術とか哲学的問答法とか呼ばれる古代弁証法とエンゲルスによる科学的な、法則としての弁証法。
より構造的には、前者は、議論、討論そのものとそこから次第次第に形成されていったであろう議論、討論の術=弁証術であり、後者は、エンゲルスがヘーゲルの弁証法に学んで、そこから法則として取り出したとされる弁証法の三法則(量質転化、対立物の相互浸透、否定の否定)のことである。
自身にとっては、この二つはそれぞれにそれなりに思うことが出来ても、このどちらもが弁証法であり一般的には同じことの違う側面と説いていただいても、「?」との思いが渦巻くばかりで、これまではつながっていくことはなかった。
しかしながら、『武道哲学講義(第2巻)』を今回読み返してみて、「!」と新旧二つの弁証法のつながりが視えてきた、と思えた。それは、新旧二つの弁証法を空手で考える。ということで視えてきた、と思えた像である。以下、その像である。
端的には、旧弁証法=弁証術とは空手で言えば戦いそのものであり、戦えるだけの人間体を創り上げる過程でもある。それに対して、新弁証法=科学的な弁証法=弁証法の三法則は、武技=突き、蹴り、受けである。そして、新旧二つの弁証法の関係とは、戦う訓練と基本技との関係そのものではないのか!?
というのが、自身の新旧二つの弁証法のイメージ、空手で考えた新旧二つの弁証法の関係性のイメージである。