父が転倒骨折してオペを受けさせた。自身のアタマが弁証法的でないこと痛感する。
先日、高齢の父が散歩していて転倒、右コーレス骨折、左手小指骨折、左手薬指脱臼等々。
医者はオペの択一であった。自身も父の高齢に鑑みて、安静固定の期間が長いと骨はついても、リハビリしても手がしっかり動く様にならないのではと思い、一も二もなく同意した。
ところが、である。術後せん妄で「死んでしまう!」と暴れて、その後呆け状態で、オペ2日後の今夜になって漸く落ち着き、もとどおりに。
観血療法のメリットばかりに目がいってデメリットを全く見ていなかった。高齢者にとって、全身麻酔やオペ、術後の安静がどれほどに大変なことかに対する考えが浅かったと思える。
別の観点から言えば、実体ばかりに目がいって、その対立物である認識を全く失念していた。事物を対立物の統一として捉えるのは、弁証法の基本中の基本であるのに、、、。
先日、高齢の父が散歩していて転倒、右コーレス骨折、左手小指骨折、左手薬指脱臼等々。
医者はオペの択一であった。自身も父の高齢に鑑みて、安静固定の期間が長いと骨はついても、リハビリしても手がしっかり動く様にならないのではと思い、一も二もなく同意した。
ところが、である。術後せん妄で「死んでしまう!」と暴れて、その後呆け状態で、オペ2日後の今夜になって漸く落ち着き、もとどおりに。
観血療法のメリットばかりに目がいってデメリットを全く見ていなかった。高齢者にとって、全身麻酔やオペ、術後の安静がどれほどに大変なことかに対する考えが浅かったと思える。
別の観点から言えば、実体ばかりに目がいって、その対立物である認識を全く失念していた。事物を対立物の統一として捉えるのは、弁証法の基本中の基本であるのに、、、。