自身としては、現時点の実力での(不充分ながらもの)鍼灸学校での総括を終えた、との思いがある。
後は、時間を見つけて本ブログへアップしていくことが、どなたかの役に立つのではとの思いから、その形式には悩みつつブログ記事として書き始めたところであった。具体的には、「鍼灸問答」という形、あるいは「覚え書」という形で。
しかしながら、なかなかに自身の思いの通りには受け取ってはいただけなかった如くである。たとえば、「鍼灸問答」で、小先生、中先生、大先生を登場させて、鍼灸初心者と対話させるという形式。
自身の思いとしては、その発想の原点は関口存男先生の著述にあるが、否定の否定(弁証法)として書ければ、というものであった。(が、そのようには読んではいただけないようであった)ほとんどの方が、弁証法の初歩的な知識すら無いのであるから、望む方が無理なのかもしれないが......。
それはさておき、本ブログに区切りをつけてとの思いは今も持ち続けているのではあるが、その形をどうするか、過去に書いたブログの如くに完全に非公開にするのか、そのまま放置するのか、あるいは現在手をつけ出した如くに、一部公開にするのか......。
そのように、あれこれと考えていて、思い浮かんだのが、寅さんの「奮闘努力の甲斐もなく〜♪」の一節である。と同時に、昔々に、ある方からこの一節を取り上げて、人間は、「奮闘努力の甲斐もなく」ではいけない、奮闘努力したならば必ず結果を出さねばならない、出すように努力せねばならない!とお教えいただいたことである。
それゆえに、現在の思いとしては、数年間に渡って書くことに努力し続けた本ブログも残しておくべき、となっていっている。
具体的には、鍼灸学校での学びの部分は残して、施術事例の部分を更新していく形を、と考えている。
後は、時間を見つけて本ブログへアップしていくことが、どなたかの役に立つのではとの思いから、その形式には悩みつつブログ記事として書き始めたところであった。具体的には、「鍼灸問答」という形、あるいは「覚え書」という形で。
しかしながら、なかなかに自身の思いの通りには受け取ってはいただけなかった如くである。たとえば、「鍼灸問答」で、小先生、中先生、大先生を登場させて、鍼灸初心者と対話させるという形式。
自身の思いとしては、その発想の原点は関口存男先生の著述にあるが、否定の否定(弁証法)として書ければ、というものであった。(が、そのようには読んではいただけないようであった)ほとんどの方が、弁証法の初歩的な知識すら無いのであるから、望む方が無理なのかもしれないが......。
それはさておき、本ブログに区切りをつけてとの思いは今も持ち続けているのではあるが、その形をどうするか、過去に書いたブログの如くに完全に非公開にするのか、そのまま放置するのか、あるいは現在手をつけ出した如くに、一部公開にするのか......。
そのように、あれこれと考えていて、思い浮かんだのが、寅さんの「奮闘努力の甲斐もなく〜♪」の一節である。と同時に、昔々に、ある方からこの一節を取り上げて、人間は、「奮闘努力の甲斐もなく」ではいけない、奮闘努力したならば必ず結果を出さねばならない、出すように努力せねばならない!とお教えいただいたことである。
それゆえに、現在の思いとしては、数年間に渡って書くことに努力し続けた本ブログも残しておくべき、となっていっている。
具体的には、鍼灸学校での学びの部分は残して、施術事例の部分を更新していく形を、と考えている。