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山を走って歩いてするとアタマの働きが活性化する、しっかり働くと言うと、そんなはずがない。運動とアタマの働きと何の関係があるというのか ?アタマの働きを良くするのは、カラダの運動ではなしに数独とかのアタマの体操 = 運動じゃないのか、と。
アタマの働きとカラダの運動は別。との反論が当然にあると思える。
実際にボケ = アタマの働きの低下を防ぐものとして世間的に推奨されているのは数独であり、せいぜいが指回し等の手先の運動であるという現実がある、のは間違いない。
しかし、である。頭脳活動の大元である脳というものが、何のために生まれてきたのかを考えてみれば、そこを「生命の歴史」に尋ねれば、それは魚類段階において運動のために、それも強烈な運動のために誕生した、させられたものである。
ふわふわと海を漂うだけのクラゲ体の段階には脳は存在せず、つまり、浮遊という運動には脳は必要なく、大海の強烈な流れ、海流の中を猛スピードで泳ぎ切るためにこそ、その運動を可能とするためにこそ、脳は必要だったのであり、誕生させられたのである。
であるから、逆に、しっかりと脳本来の強烈な運動をしてやることなしには、脳はその実態としての実力を保つことができない。
使わなければ衰える、使えば発達するという、他のカラダの部分と全く同じ論理がここにも当てはまるものである。
それゆえに、脳の本来の強烈な運動をしてやることが脳の機能の一つである。アタマの働きのためにも大切なことなのである。
そうは言っても、全力疾走状態の運動をしていては、運動をすることに手一杯で、考えるどころではない、ではないかとの反論もある、と思う。
それは確かにその通りである。それゆえにの、山鍛錬とともにの、あるいはその後の歩くなのである。
もっと言えば、脳本来の強烈な運動によって、活性化された脳で、適度な考える余裕のある歩くという運動であるからの、アタマの働きの活性化である。
そうは言われても、何か信用できない。だって、偉い大学の先生は数独や指回しがボケ防止には良いと言っているし、山を走り回ることがアタマの働きを活性化するなどというのは聞いたことがない。という反論、再反論があるかもしれない。
それに対しては、古代ギリシャの偉大な哲学者であり、「万学の祖」と言われるアリストテレス(とプラトン)が逍遥学派といわれ、歩きながら議論をしたということを以て反証としたい。
(続く)