『Cours de Dessin』の絵の模写をした。全てを一つの筋道で、と思う。
『Cours de Dessin』という本があって、巨匠と言われるピカソやゴッホが絵の学びの最初の段階で、それに学んでの模写を行なっていた、ということを先日知った。
昔々、ピカソのデッサン力に感嘆したことがあるので、その原点を知ることは自身にとっては大変に興味深いことである。
なぜかならば、弁証法的に考えるならば原点があって、そこに積み重なっていっての現在がある=ピカソの偉大なデッサン力があると思えるから、である。
そのことの証明として?自身でも『Cours de Dessin』によって絵を描いてみることにした。
それによって、自身の絵にそれなりの上達があれば、世界の弁証法性を実感出来るであろうし、全てを一つの筋道で、ということの実践ともなっていくのでは、と思う。
自身がかつて(現在も?)憧れたピカソ、のデッサン力が素人にも分かりやすい作品。玉乗りをする少女が実際に動くが如くである。
『Cours de Dessin』による(鉛筆での)自身の模写。落書きレベルの稚拙なものであるが、まずは準備運動から......。
『Cours de Dessin』という本があって、巨匠と言われるピカソやゴッホが絵の学びの最初の段階で、それに学んでの模写を行なっていた、ということを先日知った。
昔々、ピカソのデッサン力に感嘆したことがあるので、その原点を知ることは自身にとっては大変に興味深いことである。
なぜかならば、弁証法的に考えるならば原点があって、そこに積み重なっていっての現在がある=ピカソの偉大なデッサン力があると思えるから、である。
そのことの証明として?自身でも『Cours de Dessin』によって絵を描いてみることにした。
それによって、自身の絵にそれなりの上達があれば、世界の弁証法性を実感出来るであろうし、全てを一つの筋道で、ということの実践ともなっていくのでは、と思う。
自身がかつて(現在も?)憧れたピカソ、のデッサン力が素人にも分かりやすい作品。玉乗りをする少女が実際に動くが如くである。
『Cours de Dessin』による(鉛筆での)自身の模写。落書きレベルの稚拙なものであるが、まずは準備運動から......。