MJHA(日本を再び健康な国に)〜東洋医学の実践的理論研究~

MJHA(日本を再び健康な国に)という志で、食・運動(姿勢)・休息(睡眠)に関わる問題等を論理的に説きます。

軽トラックの運転に学ぶ〜鍼灸如何に学ぶべきか〜

2019-09-13 01:17:49 | 日記(2)
 軽トラックの運転をした。(上達するほどに)自身の実力のままに闘う=施術することの不味さ、恐さを実感した。

 昨日、粗大ゴミをクリーンセンターへ運ぶ為に、軽トラックを借りて一時間ほど運転した。自身の車から乗り換えて走り出した瞬間に、アクセルに対してのトルクの出方、ハンドリング、乗り心地......、全てが強烈な違和感で、自身での運転にもかかわらず車酔いしそうになり、かつどこへ飛んでいってしまうか分からないような恐さもあり、一般道の制限速度で走ることすら出来ずに、何度か後続の車に道を譲っての、であった。
 一時間の運転の間中、免許取り立ての初心者のごとくに、ハンドルの切り方、アクセルの踏み方、ブレーキの踏み方等々、運転操作の全てにわたって、意識の上にも意識をして、かつ、周囲の道路状況、他車の存在にも注意の上にも注意をして、の運転であった。
 それゆえに、粗大ゴミを運び終えて車を返却しての自身の思いは、「恐かった!」「ほっとした!」であったし、自身の車が自身の運転操作に対して、いってみれば意のままに動いてくれることに、「やっぱりゴルフRはいいなあ!」となった。
 しかしながら、ゴルフ Rに乗っての自身の運転は、軽トラックの運転に対して、違って、雑で荒っぽいもの、すべての運転操作がそうであるし、周囲の状況に対しても、事故の起こらない状況にならないように細心の注意を払って運転する、という意識も薄いものとなっているということに気づき、愕然とした。

 これが、空手である程度の実力がついたら格下の相手と闘う時はハンデをつけて、自身の実力が発揮できない形で闘うべし、そうでなければ闘うほどに実力は低下していく!と南郷先生がどこかで説いてくださっていたこと、とはじめてその意義を実感できた、との思いとなった。

 これは、手技療法でいえば、初心の頃は細心の注意を払って、かつ必死になって全力で施術しても、なかなかに解れてくれなかった、治せなかった、それゆえに、常に常に、緊張感と恐さで一杯であった、施術した後はあの患者さんは大丈夫だろうか?と次に会うまで心配で仕方なかったものが、数年、十数年と経つうちに、それなりの実力も培うことができ、押せば解れる、どこに施術すれば患者の訴える症状を治せる、あるいは軽減できるかがそれなりに直観的に分かる、ようになっていき、ある意味、気楽に、楽しく施術する、出来るようになっている、なってしまっている、ということの構造、恐い構造を説いてくださっているのだ、と思える。

 そういう意味では、鍼灸の修業というものも、鍼と艾(という道具)の実力を、自身の実力と錯覚してしまって、「俺の運転は上手い!」となってしまったのでは......。
ニッポンの最強ギア・軽トラック大全 (CHIKYU-MARU MOOK 別冊LOG HOUSE MAGAZINE)
地球丸
地球丸
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