東洋医学の実践的理論研究~人間が病むということの過程的構造からの東洋医学的治療論の研究~

人間が病むということの過程的像から、鍼灸等の問題を説いてみたいと思います。よろしくお願いいたします。

8/28校内模擬試験〜鍼灸学校の試験責めに思うこと〜

2017-08-17 22:00:23 | 日記
8/28に校内模擬試験が行われるらしい。どのレベルの生徒を想定してもろもろのスケジュールが組まれているのだろうか?と疑問に思う。

8月上旬の前期末試験が漸く終わったとひと息つく暇も無く、追試どころか前期末試験の結果発表も待たずに、今月末の校内模擬試験の予定が発表された。

これは、果たして良いことなのだろうか?試験、試験と試験責めにしていけば鍼灸師としての実力はついていくのだろうか?それ以前に、鍼灸国試に合格するということに限定しても試験責めは良いことなのだろうか?また、鍼灸国試合格ということに限定した場合に試験責めが良いとしても、それは無条件に良いものなのだろうか?それとも、条件次第では、なのだろうか?

少なくとも、自身においては、過去問責めの授業や試験責めの日程は、鍼灸学校での、それゆえ国試出題範囲とされる諸々のことについての、その内容の理解が少しも深まっていかないもので……これから、東洋医学、解剖生理、病理(本当の意味での)についての学びを深めていって、と思っていただけに……である。

自身のことはさておき、過去問責め、試験責めのという学びは、国試合格ボーダーライン以上の生徒にとっては、鍼灸国試合格のための助けにはなるであろうが……と思う。

これは空手の学びでいえば、基本や体力づくりを抜きにして、組手、組手の毎日と毎月の如くに行われる大会のようなものであり、もともと体力、運動神経のある豪傑かすでに技がある程度しっかりと出来上がっている弐段クラスならば良いのかもしれないが……。

また例えば手技療法術の学びでいえば、と考えると……あ〜、だからか、要するに鍼灸学校の特殊性なのか、と納得される。

そもそも、鍼灸というものはその修業の当初から、自前で鍼や艾を創るでなし、鍼灸=技の使いかたにしても、経絡経穴という過去の文化遺産をいただいてくるものなのであるから……と納得させられる。ここも改めて説くことが必要である、と思う。
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