東洋医学の実践的理論研究~人間が病むということの過程的構造からの東洋医学的治療論の研究~

人間が病むということの過程的像から、鍼灸等の問題を説いてみたいと思います。よろしくお願いいたします。

鍼灸学校での学びはいかにあるべきか(1/2)〜生き生きと臨床をイメージすることの大事性〜

2015-06-02 21:32:14 | 日記
 ムエタイジム訪問以来、日々の鍛練、近頃にない熱心さで取組めています。今朝の鍛練も時間としてはわずか30分だったのですが、朝の鍛練後は手もしっかり握れ無くなり、通勤の駅の階段を上がるのも厳しいくらいでした。内容的には、いつもの倍くらいの濃さ、強烈さであったと主観的には思えます。

 これも一重に、ムエタイジム訪問で久々に闘う場面を目の当たりにして、かつ実際にミット打ちで汗を流すことで、闘うということのイメージが生き生きと描けたが故と思えます。

 人間の実践はイメージのあり方一つで、こんなにも変わるものかと我がことながら驚かされました。

 逆から言えば、このところの鍛練・練習遊んでしまっていた、惰性でのものとなっていたと、またその事に気付けなかったこと大いに反省させられます。

 さて、鍼灸学校での学びにおいても上記のことと論理的に同じことが、臨床抜きの基礎科目の学びにおいて起きる・起きている筈であるということを今回は論じたいと思います。

 内容的には、「医学教育概論」(瀬江千史・本田克也・小田康友 著 現代社)に説かれることを、自分なりに鍼灸の学びとして理解したことを、説くことになります。

(続く)

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