「食」とはそもそも何なのか ?という問題。それがわからなければ、「人間は何を食べるべきなのか?」も分かりようがない。
結果として、「あれが体によい。」「これが美味しい。」と様々な情報に右往左往するのみ、という現状がある。(特に情報が溢れている現代においては.....)
それゆえに、ここは食の原点に帰っての「そもそも食とは何なのか 」? ということが求められるべきであろう。
さて、いつものごとく<生命の歴史>に尋ねれば、最初の「食」は、「単細胞体」の時代に始まる。
地球の物質現象の一つであった「生命現象 」(=物質がくっついたり、離れたりの化学変化の繰り返し)が、地球自体の物理的変化(冷えていく 、固まっていく等々)への対応を迫られた結果、「細胞膜」を誕生させ、地球との(相対的)独立を果たしたことで生き続けることができるようになっていった。(生命体=単細胞体の誕生)
しかしながら、地球の物質現象である「単細胞体となった生命現象」は、地球そのものとのつながり抜きでは、地球そのものを取り入れることなしには、その実存そのものである化学変化(くっついたり離れたり)をなし得ないという矛盾。
それゆえに、「単細胞体となった生命現象」は、細胞膜を通して(選別して)、地球そのものを取り入れ、化学変化を起こし(自己化 = 同化と異化)、結果としての不要なものを、細胞膜の外へ出す(= 排泄)という形態、すなわち「食」と「排泄」を誕生させる。
つまり、細胞膜を誕生させて、変化していく地球から独立して生き長らえたはずの「生命現象=単細胞体」も、そもそもが地球現象そのものであっただけに、地球から完全に離れてしまっては、生きていけ無い、という矛盾。
その解決の方法が、「細胞膜」を通しての、地球そのものを取り入れることであり、地球との一体性を保つための地球そのものの摂取( = 食の誕生)である。
冒頭の疑問に返れば、「食とは、地球そのものの摂取」であり、それは地球からの独立を果たして単細胞体となった生命現象が「地球との一体性を保つために(相対的独立となるために)誕生させたもの」である。
(加筆)それだけに、「食」というものが地球と相対的独立の存在である「生命体」が地球との繫がりを保つためのものであるだけに、地球との繫がりが薄い、「加工食品が身体に悪い」であり、「養殖よりも天然のもの」であり、「丸ごと食べることの大事性」なのである、と理解いただければ、と思う。
(加筆2)
以上のことは、大きくは、地球からの相対的独立を果たした「生命現象=生命体」と「地球」との<対立物の相互浸透>の過程ということであり、「食」とはそのような過程の一コマであるから、それゆえに地球との繫がりをしっかりと持ったものを食べる、ということが求められるのだ、と。
そしてそれは、やがて二重化していって、地球そのものの摂取と他の生命体の摂取へとなっていく......(続く)