gooブログには一年前の自身のブログをメールで通知する機能があり、自身でも一年前の「自身の認識」を知ることが出来て興味深いので利用しているのであるが、先日、「プラトン・アリストテレスの幸福な人生〜人間にとっての幸福とは〜」と題したブログ記事(自身の)が送られてきた。
それは、一年前の卒業研究(鍼灸学校の)に悪戦苦闘している時期のものであり、その時に『よくわかる哲学用語』(御厨良一著 エール出版社)で知ったプラトンそしてアリストテレスの「幸福とは何か」に深く感銘を受け、「悪戦苦闘して東洋医学や鍼灸、あるいは弁証法、認識論に取り組んでいるつもりでも、一向に成果の上がらない自身の人生も捨てたものではない!それはそれでしっかりと頑張り続ければ良いのだ!」と救われた気持ちになった、ということをブログに書いたものであった。
(その内容に興味のあるかたは、gooブログでは記事の検索が出来るのでお読みいただければと思うが)その記事を読んでの自身の思いは、痛感されたことは、当時の自身の学びの真摯さ、緊張感であり、逆からいえば、現在の自身のブログの、アタマの働きの弛みである。
これは、三年間という長い期間の学びと鍼灸国家試験を終えて(これについてはよくぞ続けられた、とは今でも思うのだが)、ホッと一息ついたので、との言訳も出来ないではないが、自身のおかれている状況を真面目に=客観的に考えてみるならば、ホッとして遊んでいる暇などどこにもないのであるから……。
また同時に、三年間にわたって鍼灸・東洋医学を学び、ブログに書き続けてきた結果として、ブログを書くことに慣れてしまった、なんとなくでも書けるようになってしまったがゆえに、そこに必死さが無くなってしまっている、アタマの働き、働かせかたがすっかり弛んでしまっている、ということも痛感される。
そしてその弛みの何よりの原因は、三年間の鍼灸学校の学びとブログを書くことの総括としての「東洋医学とは何か」「鍼灸とは何か」を書くことから逃げてしまっているからであると思える。
(自分なりの、というレベルであっても、)そこをしっかりと書くことで、当初の予定通りに本ブログにも一区切りをつけるべきである、とその必要性痛感する。全力を尽くしたい。
それは、一年前の卒業研究(鍼灸学校の)に悪戦苦闘している時期のものであり、その時に『よくわかる哲学用語』(御厨良一著 エール出版社)で知ったプラトンそしてアリストテレスの「幸福とは何か」に深く感銘を受け、「悪戦苦闘して東洋医学や鍼灸、あるいは弁証法、認識論に取り組んでいるつもりでも、一向に成果の上がらない自身の人生も捨てたものではない!それはそれでしっかりと頑張り続ければ良いのだ!」と救われた気持ちになった、ということをブログに書いたものであった。
(その内容に興味のあるかたは、gooブログでは記事の検索が出来るのでお読みいただければと思うが)その記事を読んでの自身の思いは、痛感されたことは、当時の自身の学びの真摯さ、緊張感であり、逆からいえば、現在の自身のブログの、アタマの働きの弛みである。
これは、三年間という長い期間の学びと鍼灸国家試験を終えて(これについてはよくぞ続けられた、とは今でも思うのだが)、ホッと一息ついたので、との言訳も出来ないではないが、自身のおかれている状況を真面目に=客観的に考えてみるならば、ホッとして遊んでいる暇などどこにもないのであるから……。
また同時に、三年間にわたって鍼灸・東洋医学を学び、ブログに書き続けてきた結果として、ブログを書くことに慣れてしまった、なんとなくでも書けるようになってしまったがゆえに、そこに必死さが無くなってしまっている、アタマの働き、働かせかたがすっかり弛んでしまっている、ということも痛感される。
そしてその弛みの何よりの原因は、三年間の鍼灸学校の学びとブログを書くことの総括としての「東洋医学とは何か」「鍼灸とは何か」を書くことから逃げてしまっているからであると思える。
(自分なりの、というレベルであっても、)そこをしっかりと書くことで、当初の予定通りに本ブログにも一区切りをつけるべきである、とその必要性痛感する。全力を尽くしたい。