春の嵐に、大自然のダイナミックな季節の移り変わり を実感する。
昨夜は春の嵐で乗っていた電車が止まり、復旧が明朝9時とのアナウンスがあったので、夜中に二時間近くの道のりを嵐の中、道に迷いながら歩いて帰宅した。
あまりの風の強さに身体が持っていかれそうになるという初めての恐い(面白い?)経験があったり、増水して逆巻く河や嵐に散る夜桜が見れたりということもあり、楽しい二時間の道のりでもあった。
それ以上に、春から初夏に移り変わっていく大自然のダイナミックな季節の移り変わりを二時間にわたって我が身で実感することが出来、移り変わっていくということ=弁証法性=量質転化ということのイメージが、ダイナミックなものへと変えられた、逆からいえば、自身の量質転化=弁証法性=移り変わっていくということのイメージの貧困なことが、スタティックなものであるということが痛感される二時間の歩きでもあった。
昨夜の嵐で今年の桜もすっかり散らされてしまったが、これは直接に葉桜・実へと移り変わっていくこと、葉桜・実の誕生でもあると思える。自身も大自然のダイナミックな弁証法性の一部であるのだから……と思える。
昨夜は春の嵐で乗っていた電車が止まり、復旧が明朝9時とのアナウンスがあったので、夜中に二時間近くの道のりを嵐の中、道に迷いながら歩いて帰宅した。
あまりの風の強さに身体が持っていかれそうになるという初めての恐い(面白い?)経験があったり、増水して逆巻く河や嵐に散る夜桜が見れたりということもあり、楽しい二時間の道のりでもあった。
それ以上に、春から初夏に移り変わっていく大自然のダイナミックな季節の移り変わりを二時間にわたって我が身で実感することが出来、移り変わっていくということ=弁証法性=量質転化ということのイメージが、ダイナミックなものへと変えられた、逆からいえば、自身の量質転化=弁証法性=移り変わっていくということのイメージの貧困なことが、スタティックなものであるということが痛感される二時間の歩きでもあった。
昨夜の嵐で今年の桜もすっかり散らされてしまったが、これは直接に葉桜・実へと移り変わっていくこと、葉桜・実の誕生でもあると思える。自身も大自然のダイナミックな弁証法性の一部であるのだから……と思える。