「万物は流転する」(ヘラクレイトス)を実感レベルで分かることが、弁証法を分かることの大元であると思える。吾人が人類の歴史を繰り返すことの大事性痛感する。
ヘラクレイトスの言葉とされる「万物は流転する」は、弁証法が説かれる時には必ずといっていいほどに、これが弁証法の原点であるとして説かれる言葉であるが、その言葉の中身=いかなる像であるのか、は通常は説かれることは無い。しかしながら、本当はその言葉の背後にある像を知って、自身でも同じくの像を描いてみて、同じくの反映を持っての像を描く努力をしてみての「万物は流転する」を分かることが、分かる努力をすることが肝腎なことであると思える。
より構造的には、弁証法もまた弁証法性を持つものであるから、かつ弁証法は抽象的な認識(イデア?)のありかたであるのだから、弁証法を分かろうとするならば弁証法となっていった大元の認識を知ることが、そのような像を自身で描いてみることで知ることが必須であり、それにはまず、弁証法の誕生した古代ギリシャという時代・社会を知ることが必要とされる。
では、その時代・社会とはいかなるものかといえば、詳細には『哲学・論理学研究(第一巻)』(悠季真理著 現代社白鳳選書)等をお読みいただければと思うが、哲学・弁証法を誕生させた古代ギリシャという時代・社会というものは「長らく続いた戦争状態が少し落ち着いて余裕の出来てきた」時代・社会であり、その時代・社会に生きた人類の、哲学を生み出した人々の、例えばヘラクレイトスの描いたであろう像は、「(生成、発展、そして成熟して、)永遠の存在であったと思えていたものも永遠では無く、何もかもが焼き尽くされ、死んでいく、あるいは衰えていく、またその一方で、新たなものが生まれ発展して……」というものであったろうと思う。
どこかで南郷先生が書かれていたように記憶しているが、その具体の像から一段上がっての「(永遠に変わらないと思っていたものさえも含めての)何もかもが変わっていくのだなあ」という抽象的な?像が、「万物は流転する」であり、弁証法の原点である、と思える。
そうであるだけに、「万物は流転する」となっていく大元である、具体としての生成、発展、成熟、衰退、消滅の諸々の反映のその結果としての具体像、無しの「万物は流転する」(弁証法の原点)は、言葉としては記憶して、使うことが出来るにしても、実感の無い、なんとも虚しいものであったのだ。と、半世紀近くものあいだ、自身を悩まし続けた、分かっているはずの弁証法が分からないということの中身を、このところ思うようになって来ている。
ヒヨコレベルの実力でしか無い自身が如此くのことを説くのは烏滸がましいとの思い、説いたことは、南郷先生や悠希先生の説かれていることの、レベルの低い焼き直しに過ぎないのでは無いのか?と、ブログ記事を読み返してみている現在もあるのだが……本ブログの読者の中に、自身と同じくに哲学・弁証法に憧れ何としてもそれらを自身の実力としたいと熱望し努力しながらも、一向にその端緒にすら着けないと嘆くかたもおられるのではとの思いからの、その自身と同じ境遇であるかたの少しでものお役に立てれば幸い、との思いからの……である。
ヘラクレイトスの言葉とされる「万物は流転する」は、弁証法が説かれる時には必ずといっていいほどに、これが弁証法の原点であるとして説かれる言葉であるが、その言葉の中身=いかなる像であるのか、は通常は説かれることは無い。しかしながら、本当はその言葉の背後にある像を知って、自身でも同じくの像を描いてみて、同じくの反映を持っての像を描く努力をしてみての「万物は流転する」を分かることが、分かる努力をすることが肝腎なことであると思える。
より構造的には、弁証法もまた弁証法性を持つものであるから、かつ弁証法は抽象的な認識(イデア?)のありかたであるのだから、弁証法を分かろうとするならば弁証法となっていった大元の認識を知ることが、そのような像を自身で描いてみることで知ることが必須であり、それにはまず、弁証法の誕生した古代ギリシャという時代・社会を知ることが必要とされる。
では、その時代・社会とはいかなるものかといえば、詳細には『哲学・論理学研究(第一巻)』(悠季真理著 現代社白鳳選書)等をお読みいただければと思うが、哲学・弁証法を誕生させた古代ギリシャという時代・社会というものは「長らく続いた戦争状態が少し落ち着いて余裕の出来てきた」時代・社会であり、その時代・社会に生きた人類の、哲学を生み出した人々の、例えばヘラクレイトスの描いたであろう像は、「(生成、発展、そして成熟して、)永遠の存在であったと思えていたものも永遠では無く、何もかもが焼き尽くされ、死んでいく、あるいは衰えていく、またその一方で、新たなものが生まれ発展して……」というものであったろうと思う。
どこかで南郷先生が書かれていたように記憶しているが、その具体の像から一段上がっての「(永遠に変わらないと思っていたものさえも含めての)何もかもが変わっていくのだなあ」という抽象的な?像が、「万物は流転する」であり、弁証法の原点である、と思える。
そうであるだけに、「万物は流転する」となっていく大元である、具体としての生成、発展、成熟、衰退、消滅の諸々の反映のその結果としての具体像、無しの「万物は流転する」(弁証法の原点)は、言葉としては記憶して、使うことが出来るにしても、実感の無い、なんとも虚しいものであったのだ。と、半世紀近くものあいだ、自身を悩まし続けた、分かっているはずの弁証法が分からないということの中身を、このところ思うようになって来ている。
ヒヨコレベルの実力でしか無い自身が如此くのことを説くのは烏滸がましいとの思い、説いたことは、南郷先生や悠希先生の説かれていることの、レベルの低い焼き直しに過ぎないのでは無いのか?と、ブログ記事を読み返してみている現在もあるのだが……本ブログの読者の中に、自身と同じくに哲学・弁証法に憧れ何としてもそれらを自身の実力としたいと熱望し努力しながらも、一向にその端緒にすら着けないと嘆くかたもおられるのではとの思いからの、その自身と同じ境遇であるかたの少しでものお役に立てれば幸い、との思いからの……である。
【これは本当によくかけていると、最初は感心した。
しかしながら、大多数の読者にとっては「何のことやらさっぱり」かもしれない、との思いへとなっていっている。
その理由は端的には、「万物は流転」という法則性・弁証法性の大元には無限といっていいほどの「万物は流転」という具体の事実があるのだ。と言ってるだけであり、そこには具体性の記述が書けているから、と思う。
では何故に、自身にはその一般論に終始するものが、「なるほどなぁ」「よくかけてるなあ」となるのか ? といえば、それは自身ではその事実、「万物は流転」という事実・経験をしっかりと持っているからに他ならない。
それ故に「わかった。わかった!」と自画自賛するばかりではなしに、その具体性を少しは説くべきではないのか、と思う。
そういうことが、次第次第に分かってきたので個人的事情を含めて少し具体性を持って補っておきたい。
先の大戦後(正確には大東亜戦争後)、日本において弁証法がもてはやされた(別の記事で書いたが、鍼灸の世界にまでも弁証法というものが入ってきて、一世を風靡している)のは、マルクス主義のゆえとされていると思う。古い日本と別れを告げて新生日本を、との世の流れがあったから、と。
さはさりながら、である。当時の日本という時代・社会を思うならば、弁証法が誕生した古代ギリシャの時代・社会とよく似た状況があったということが、自身には、何よりも大きいのでは、と思える。
具体的には、昨日まで絶対と信じていた社会体制が崩壊し、街は焼き尽くされ、国土は焦土と化し、すべてが失われてしまった。
そこからの新たな新生日本の息吹が、それゆえ自身にもその思いが湧いてきての、そういう時代・社会・精神での弁証法との出会いを持てたからの、弁証法が分かっていくがあったのでは、と。
では、そんな時代社会ではない現在(ブログ記事執筆当時の時代・社会......コロナで激変した現在ではなく)においての自身の弁証法性としての反映とは何か ? といえば、叔母が逝き、母が逝き、父は老い衰えていき、家族との離別があり、そういう意味では、それまでの幸せいっぱいであった状況が一変して、全てを失ったとの思いからの、鍼灸の科学的・理論的学びに新たな希望を見いだして、という現実を持っての「全は変わっていくのだな。絶対と思っていたものも全て失われていってしまって、それでも新たな道が開けてくるものだな、まさに万物は流転するだな!」との思いとなっての、弁証法ってそういうことなのか!?であった。】
死ぬとは、全く思いもしなかった62歳の「母の死」。
私と違って風邪一つ引かず、八歳下で58歳の「家内の死」。
二人とも癌で、発見されて数か月で逝ってしまった。
まさに、この二人の死は、私には
>「(永遠に変わらないと思っていたものさえも含めての)何もかもが変わっていくのだなあ」という抽象的な?像が、「万物は流転する」であり、(私にも私の)弁証法の原点である、と思える。<
そのせい!or おかげ?か、二人の死の直後の私の認識の変化はとんでもなく「気が狂った」的レベルでしたね…
日常的に凝り固まった私の認識を強烈な「悲しみの感情」で、切り崩した「非日常的」な現実・事実…
でも…その変化・悲しみから逃げず、無誤魔化さずに、それを真正面から受けて立った時…「人は成長する」モノようですね…
でも…それだけ成長していても…このレベルの自由びと…じゃ~自慢話にはならないね…
でも…現代は「相対評価」でなく「絶対評価」の時代です。
だから、
私にとって、私自身の成長が感じ取れればOK♪♪♪
自身では、中学生の時に南郷先生との出会いがあって以来、弁証法というものを何としてもものにしたいとの数十年の年月、『弁証法はどういう科学か』を何冊もボロボロになるまで繰り返し読んで学んだけれども、知識としてはあっても、感情としては分からないという苦悩の日々でした。
それが、ここに記したいろんなものを失った、自身の思いとしては何もかもを失った、と思える経験をした時に、それでも鍼灸の科学化ということに一縷の望みが見えたと思った時に、あれほど分からないと思っていた弁証法が、ん?あれ?そういうこと???と感情で分かるという経験が持てた、との思いがあります。
(正直に言うと、あまりに長く分からなかったものですから、未だに心の何処かに、本当に分かってるんだろうか?との疑念があります。)
それほどの思いをして分かったとの感情を持てただけに、弁証法を学ぼうとする、学んでも分からないと嘆く皆さんへの、でした。
これはまた、弁証法と弁証術の問題と重なり合うものでもあると思えています。
弁証法の学びには、その中身となる弁証法的事実の経験がぜひとも必要である、という意味で。