ヘーゲルの生き様、学城12号・武道哲学講義で説いていただいた。
「講義しているように、ヘーゲルは世界歴史を絶対精神の自己が自分自身の生成発展していく過程的運動として捉え、かつそれを学問的に描こうと、一心に頑張って、励んで、学問の世界に生き抜く人生を把持していたことを理解してほしいのである。
そしてそればかりでなく、彼、ヘーゲルの学問の根底に流れている、というより、彼の学問体系の構造をしっかりと支えていったものが、彼の修得した、という以上に見事に創出できた、かのアリストテレスにしっかりと学び、そこをカントの学に規定されかつ発展させていったヘーゲル流の弁証法であった。」と。また、「精神現象学」をものした後に「大論理学」を書くべきではない。本当は先ず、「エンチュクロペディー」の研鑽をなすべきだった。それは、致命的とも言える大失敗だった。とも説いていただいた。
南郷先生に説いていただいたヘーゲルの生き様、感動そのもので受け止めた。自身でヘーゲルの伝記(「ヘーゲル(世界の名著)」中央公論社)を読んでも、その様には受け止められなかったのだが、、、。
これは、南郷先生の学問・哲学の、認識学、弁証法の実力の賜物であり、ヘーゲルを凌駕する見事な生き様を把持し続けられているゆえではと想像される。
ヘーゲルの生き様が、必ずしも成功ばかりでは無かった、それどころか致命的とも言える学問の研鑽上の大失敗があったにもかかわらず、死ぬまで、自身の志を遂げるべく、一心に頑張って、励んで、学問の世界に生き抜く人生を把持し続けたのだ。その頑張りがあっての大哲人ヘーゲルなのだと知ることで、自身を大哲人ヘーゲルに擬するのは、烏滸がましいことであるとは思うが、自身もヘーゲルに倣って、もっと、一心に頑張って、励んで生き抜かねばとの思いになった。自身の情熱に火をつけていただいたと感謝の念で一杯になった。
「講義しているように、ヘーゲルは世界歴史を絶対精神の自己が自分自身の生成発展していく過程的運動として捉え、かつそれを学問的に描こうと、一心に頑張って、励んで、学問の世界に生き抜く人生を把持していたことを理解してほしいのである。
そしてそればかりでなく、彼、ヘーゲルの学問の根底に流れている、というより、彼の学問体系の構造をしっかりと支えていったものが、彼の修得した、という以上に見事に創出できた、かのアリストテレスにしっかりと学び、そこをカントの学に規定されかつ発展させていったヘーゲル流の弁証法であった。」と。また、「精神現象学」をものした後に「大論理学」を書くべきではない。本当は先ず、「エンチュクロペディー」の研鑽をなすべきだった。それは、致命的とも言える大失敗だった。とも説いていただいた。
南郷先生に説いていただいたヘーゲルの生き様、感動そのもので受け止めた。自身でヘーゲルの伝記(「ヘーゲル(世界の名著)」中央公論社)を読んでも、その様には受け止められなかったのだが、、、。
これは、南郷先生の学問・哲学の、認識学、弁証法の実力の賜物であり、ヘーゲルを凌駕する見事な生き様を把持し続けられているゆえではと想像される。
ヘーゲルの生き様が、必ずしも成功ばかりでは無かった、それどころか致命的とも言える学問の研鑽上の大失敗があったにもかかわらず、死ぬまで、自身の志を遂げるべく、一心に頑張って、励んで、学問の世界に生き抜く人生を把持し続けたのだ。その頑張りがあっての大哲人ヘーゲルなのだと知ることで、自身を大哲人ヘーゲルに擬するのは、烏滸がましいことであるとは思うが、自身もヘーゲルに倣って、もっと、一心に頑張って、励んで生き抜かねばとの思いになった。自身の情熱に火をつけていただいたと感謝の念で一杯になった。