同級生に自身のブログ読者がいた。一層の頑張りをとの思いになった。
昨日、同級生から、「ブログ読んでいる。」と声をかけて貰った。自身でブログの存在を教えたわけでは無く、検索していて偶々出会った自身のブログを読み続けてくれているとのことであった。
同級生が読者であることを知って、否応無しに自身のあり方を、ブログの内容を含めて改めて考えさせられた。
もちろん、ブログが匿名であるからといい加減なことを書いていたつもりも無く、ブログで書いたことはなんとしてでも現実化すべく全力を尽くしているのではあるが、それでもやはり、具体性のない読者一般に向けてのブログと、もちろん自身で想定した読者一般はあるが、現実の具体的な読者の存在とでは、読者の像の生々しさが違う。それゆえブログを書くことに関わっての感情も違う。それゆえに自身のブログのあり方を改めて考えさせられた。と言えば分かっていただけるであろうか。
その時、自身の抱いた思いは、具体的な読者の存在を意識して見ると、自身のブログがあまりに即自的であり、先ずはソクラテス的段階を!との決意で学び始めた鍼灸学校での学びであったので最初はそれで良いと思うが、何時までもそうであってはいけない、ソクラテスもプラトン的なソクラテスへと成長して行かねばならないのではと思える。
端的には、即自から対自へと向かわねばとの思いとなった。ただに自身の思いを綴る段階から読者に分かってもらえる努力を。との思いとなった。
昨日、同級生から、「ブログ読んでいる。」と声をかけて貰った。自身でブログの存在を教えたわけでは無く、検索していて偶々出会った自身のブログを読み続けてくれているとのことであった。
同級生が読者であることを知って、否応無しに自身のあり方を、ブログの内容を含めて改めて考えさせられた。
もちろん、ブログが匿名であるからといい加減なことを書いていたつもりも無く、ブログで書いたことはなんとしてでも現実化すべく全力を尽くしているのではあるが、それでもやはり、具体性のない読者一般に向けてのブログと、もちろん自身で想定した読者一般はあるが、現実の具体的な読者の存在とでは、読者の像の生々しさが違う。それゆえブログを書くことに関わっての感情も違う。それゆえに自身のブログのあり方を改めて考えさせられた。と言えば分かっていただけるであろうか。
その時、自身の抱いた思いは、具体的な読者の存在を意識して見ると、自身のブログがあまりに即自的であり、先ずはソクラテス的段階を!との決意で学び始めた鍼灸学校での学びであったので最初はそれで良いと思うが、何時までもそうであってはいけない、ソクラテスもプラトン的なソクラテスへと成長して行かねばならないのではと思える。
端的には、即自から対自へと向かわねばとの思いとなった。ただに自身の思いを綴る段階から読者に分かってもらえる努力を。との思いとなった。