「股関節重心 +骨盤前傾」姿勢(以後、「股関節重心+骨盤前傾」と略して記述する)の意義について、それは全身レベルでの神経統括のあり方までも変えるのでは ?と思える。
今春、「股関節重心 +骨盤前傾」ということを知り、何故か、「これだ!」との(一目惚れ的な)思いとなって、そこに<生命の歴史>を重ね、現在まで、実践し続けている。
まず、「膝の痛み」(7年前に傷めて以来の)が消え、夏頃には(コロナ以降、再発していた)「喘息」が消え、「耳鳴り」が消え」、「肩こり」や「右手指の血行不良」、「足の魚の目」が消えと、様々な不調・病が治っていってという自身の事実を持つ現在である。
また、「「股関節重心 +骨盤前傾」」と対比される「膝重心 + 骨盤後傾」姿勢(以後、「膝重心+骨盤後傾」と略する)が、8割方の、ほとんどの日本人の立ち方であるという現状に、それによって引き起こされていると思える、様々な病・不調(例えば、膝痛、耳鳴り......)に日々接するので、「股関節重心+骨盤前傾」の効用と「膝重心+骨盤後傾」の不味さ(害悪 ?) を、しっかりと説(解)いておきたい。との思いが次第次第に膨らんでいっての、というのが今回のブログ再開の自身のテーマの一つでもあった。
それはさておき、「股関節重心+骨盤前傾」と「膝重心+骨盤後傾」では、全身の筋肉の使い方と血流のみならず、神経統括のあり方が大きく違うのでは、と近頃思えてきている。(これは東洋医学的に言えば、気の流れが変わると言っても良いもの、との思いがしている。)
ここは、どこかで南郷先生が説かれていた、「人間の体はその実態・実体はサルのを体であるから......ぶら下がりという運動は人間にとって必須である......足で立つとぶら下がるのでは、神経の統括のあり方が大きく違う......」(記憶によっているので正確には、では無いが)ということと同じ論理があるのだと思える。
どういうことかといえば、人間の体は直接には類人猿の体なのであるから、人間として「膝重心+骨盤後傾」として使うことは、それはそれで良いとして、必ずその本来の実態・実体である類人猿の体へと「股関節重心+骨盤前傾」へと返っての運動の時間を、しっかりと持たねばならない、ということであり、そうでなければ人間体は、次第次第に歪んで行ってしまって、結果として、様々な不調・病を引き起こすことにもなっていくのであり、その構造として、筋肉の使い方と血流のみならず(ここは東洋医学的に言えば、「骨盤後傾」が陽ならば「股関節重心」は陰の体の使い方であると......ここは改めて解きたい)、神経の統括の在り方(東洋医学的に言えば、気の流れ)が大きく違うからの、それゆえの「股関節重心+骨盤前傾」で立つ、歩くことの大事性、必須性である。と。
まだ、気づき、のレベルであるので、「股関節重心+骨盤前傾」の神経統括の問題は、気の流れの問題としても、改めてときたいと思う。