昨日、鍼灸国家試験が終わった。そのための学びの総括を簡単に。
結論的端的には、鍼灸国家試験の問題は、過去問題の延長というか、鍼灸国家試験としての一般性、あるいは正規分布を持つものである、のでしっかりと繰り返し過去10年分の過去問題に学べば良い、と思う。
しかしながら、結果として過去問題の正規分布を持つからといってその学びの過程が過去問題主体で構成されて良いのか、といえば否である、と思える。
そこには、過去問題主体の学びには二重の問題点、不味さがある、一つは、過去問題主体の学びでは過去問題レベルの問題を解く実力が培われない、ということであり、それ以上に、何よりも、そのような三年間あるいは四年間の学びを経て鍼灸師となって、それで鍼灸師としてやっていけるだけの実力が培われるのか?ということである。
これは武道・武術の学びで考えてみれば、過去問題主体の学びの不味さは明白である、と思える。
具体的には、武道・武術の実際が闘いにあるからといって、毎日、ケンカケンカに明け暮れていれば、武道家・武術家としての実力がつくのか?という問題である。
武道・武術の問題として考えてみれば、やっぱりランニング等の体力づくりから基本や型の学びの上での、と誰もがなる筈と思えるのだが、鍼灸国家試験となると......。
ここは、『医学教育概論』(現代社白鳳選書)に、医学教育の問題として、かつ鍼灸教育にも直接に役立つ形で、しっかりと説かれているので、興味のある方は是非に。
結論的端的には、鍼灸国家試験の問題は、過去問題の延長というか、鍼灸国家試験としての一般性、あるいは正規分布を持つものである、のでしっかりと繰り返し過去10年分の過去問題に学べば良い、と思う。
しかしながら、結果として過去問題の正規分布を持つからといってその学びの過程が過去問題主体で構成されて良いのか、といえば否である、と思える。
そこには、過去問題主体の学びには二重の問題点、不味さがある、一つは、過去問題主体の学びでは過去問題レベルの問題を解く実力が培われない、ということであり、それ以上に、何よりも、そのような三年間あるいは四年間の学びを経て鍼灸師となって、それで鍼灸師としてやっていけるだけの実力が培われるのか?ということである。
これは武道・武術の学びで考えてみれば、過去問題主体の学びの不味さは明白である、と思える。
具体的には、武道・武術の実際が闘いにあるからといって、毎日、ケンカケンカに明け暮れていれば、武道家・武術家としての実力がつくのか?という問題である。
武道・武術の問題として考えてみれば、やっぱりランニング等の体力づくりから基本や型の学びの上での、と誰もがなる筈と思えるのだが、鍼灸国家試験となると......。
ここは、『医学教育概論』(現代社白鳳選書)に、医学教育の問題として、かつ鍼灸教育にも直接に役立つ形で、しっかりと説かれているので、興味のある方は是非に。