では、睡眠とは何なのであろうか?(ということに対する自身の答えは、)それは端的には生命体の単細胞の時代の<生命の歴史>の繰り返し(これはクラゲ体以前のというべきかもしれない。)であると思う。
どういうことかといえば、生命体は単細胞の時代には、代謝 = 運動であり、外界を摂取して自己化、そして排泄するということが、生きるということの全てであった。
それが、カイメン体、クラゲ体をへて魚類の段階に至って、強烈な運動を可能とする(クラゲのようにふわふわと漂うだけではなく、海を猛スピードで泳ぎ回る)運動器官・代謝器官・統括器官の三権分立かつその統一という構造を持つに至って、強烈な運動をするだけに、運動とともにの代謝だけでは不足で、いわば代謝に専念することが、そのような時間を持つことが必要となった。
それは、単細胞体の時代の運動 = 代謝という時代の繰り返し、ということであり、そのような運動のあり方 = 代謝のあり方を、強烈な運動とともに持つことなしには、魚類以降の生命体は実存し得なかった、し得ないということである。
それゆえに、睡眠 = 代謝を主とすること= 単細胞時代の繰り返しを、まともに、しっかりと持つことなしには、生命体はまともに運動できない、生きていけない、実存し続けられない、ということである。それゆえに、生命体は、睡眠ということを誕生させたのである。
そうは言っても、多くの日本人は、睡眠を削って働き、遊びしているではないか ? との反論があるかもしれない。
それは確かに事実としてはそうかもしれない。
しかしながら、そうであるからの、多くの日本人が医療依存の薬漬け、お医者様が開いてなければ、薬が切れたら、と不安で仕方がない。という日本の、日本人の現在があるのだと思える。
ついでながら、そんな現実を持っているからの、コロナが怖くて、我先にとワクチン(?)を打ちまくった(実に全国民の8割がである。)、であり、そのことで免疫力を上げ(たと思え)なければ、不安で人とも会えない、マスク越しでしか息すらできない、ということにまでなってしまった、しまっているのだ、と。