「睡眠とは何か? 」の答えとして、「それは生命の歴史の単細胞体の時代の繰り返しとしてものであり、それは魚類の段階での強烈な運動の誕生と直接に誕生させられたもの」との結論を出した。
では、自身はどのように考えて、そのような結論を出したのか、を記しておきたい。
まず、唯物論的かつ弁証法的立場から、何事も、原点からの生成発展の結果としての現在として見るべきである。ということから考えれば、「睡眠」といえども最初からあったものではなしに、生命体の発展のある段階で、必要に迫られて誕生させられたもの、誕生させたものであろうということに思い至る。
そこから生命の歴史を人類からサル、サルから哺乳類、哺乳類から......と単細胞生命体へと遡り、また原点である単細胞生命体から海綿体、海綿体からクラゲ体、クラゲ体から魚類体......と人間まで、順に辿ってみると、「睡眠」というものが誕生した、させられたのは、魚類の段階が怪しいということになって、クラゲ体と(から)魚類体の比較・検討をしていくと、クラゲ体までは、いわば単細胞生命体の延長であって、魚類体に至っての、運動器官と代謝器官の相対的独立と脳 = 統括器官の誕生によって、強烈な運動の誕生(そのことが可能となったということ)があっての、直接にその対立物としての、代謝主体のあり方 = 「睡眠」を誕生させたのであろう、という結論に自身を導いた。
また、それらを考えて行く中で、生命体のあり方を生き生きとした映像として描けたのは、描かせてくれたのは、以下の実践とその事実によってのと思える。
単細胞体としては、ぬか漬け、味噌作りパン作り等の実践。
魚類体としては、水槽でのドジョウ等の飼育という実践。
また動物との対立物である植物としては、裏庭での菜園・果樹園での栽培という実践
そして、肝心の人間としては、日々の指圧・整体・鍼灸等の実践と自身を実験体としての食と運動(武術・バドミントン)、睡眠の実践。