東洋医学の実践的理論研究~人間が病むということの過程的構造からの東洋医学的治療論の研究~

人間が病むということの過程的像から、鍼灸等の問題を説いてみたいと思います。よろしくお願いいたします。

人間だけがどうして(多くの)病気になるのか?〜自損事故に思う(1)〜

2024-10-22 07:48:00 | 治療論
 自損事故を起こした。人間だけが病む(動物と違って多くの病を持つ)のは、こういうことなのか!?と思えた。

 昨夜、仕事から帰って買い物に出かけようと車を出す時に、門扉に擦ってしまった。キーッと大きな音がしたものの、「やっちゃった〜!」と思いながらも、とりあえず目的地に向かった。

 途中さまざまな思いが渦巻いて(しまった^^;大きな出費!何でいつもの出庫で擦ったんだろう?大きな傷がついていなければいいのに^^;もしかしたら擦り傷程度かも。等々)のドライブであったが、到着して確認したら、ほぼ無傷。「ラッキー!!」と大喜びして買い物から戻って、再度確認したら別の箇所に大きな傷と凹み。「やっちゃった〜^^;これ何十万円の出費だろうか?保険使おうか?)との思いとなって帰宅、食欲も失せていたが、何とか食べてシャワーを浴びて就寝。
 夜中に目覚めて思ったことが、何で当たったと思った瞬間に止まらなかった、止まれなかったんだろうか?であった。当たったと思った瞬間に止まっていれば、止まれていれば、車の傷も大したことなく、もしかしたら、最初に発見した擦り傷程度であったかもしれなかったのに。
 自分はいつもそうだよな。「あれ!?」と思った時に立ち止まって「何でだろう??」と考えるのでは無しに「エイヤッ!」とばかりに、突っ込んでしまうものなあ。まあやっちゃったものは仕方ないか......やっちゃいけないことをやってしまうのが、人間の常だものなあ......等々である。

 ここまで読んでくださった。皆さんはこのブログ筆者は何だって?こんな失敗談をくどくどと述べて、自身の恥を晒しているのか?と不審に思われるかもしれないが、このことで自身に発見があった。一般論としてあったことを事実として持った。との思いがあったからの、あえての恥をさらすである。

 どういうことかといえば、それは病の一般論に関わる認識の問題。別言すればどうして人間だけが(多くの)病気になるのか?それに対して、動物は何故(怪我や衰えはあっても)病気にならないのかという問題である。(2に続く)


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