万年筆のインクフローについて。道具は対象の構造に見合ったものを、とその大事性痛感する。
先日、ペンクリニックでインクフローを絞ってもらった万年筆。単独で試し書きする分には問題なしであったのだが、そして当初は、何の問題もなく書けていたのであるが、ブログ原稿を書くことが興に乗ってきて、次から次へと原稿を書くようになってくると、運筆速度が早くなってきて(これは、アタマの中の像が次から次へと浮かんでは消えするからの、さっさと書かないことにはその像が消えてしまうからの、早く書くとなっていったのであると思える。)インクフローを絞った結果、書いている時にインク切れを起こしてしまい、何とも書きづらい。万年筆になってしまった。
これは例えば、変な例えではあるが、居合刀が刀単独としては2尺3寸5分あたりが良くても、実際に勝負の場で居合技として使うとなると、そういうことを想定すると、2尺1〜2寸くらいの短いものが......というのと同じことと思える。
要するに、道具というものはそれ単独の見事さとは別に、その使う場に応じてのものである。そこでの見事さこそが求められるべきであるということであり、そうでないと、いい刀なんだけど実際には役に立たないで敗れてしまう=生命を失うということにもなってしまう、ということを、今回の万年筆のインクフローを絞った件で痛感した。
明日は朝から再々々度のペンクリニックへ。