近頃、まともな文章を書けずに(そう書くと、「そもそもがまともな文章など書けてはいないではないか!」との反問もあるとは思うがそれはさておき)自身の学びの覚え書ばかりになってしまっている。
一刻でも早く、まともな文章を書くべく書く、ということを再開したいと思うのだが、自身の職場の解決せねばならない問題があり、もう少しの間、現状の覚え書レベルのブログ記事が精一杯となってしまいそうである。
ここからは言い訳である。これまで、クリニックのリハビリ室を統括せねばならない立場にありながら、そんなことに時間を取られたくないとの思いから随分と怠けてしまっていた。結果として、リハビリスタッフのレベルでの、スタッフ間の自然成長的な相互浸透の結果として、随分と規律の緩んだ状態へとなってしまっている。
しかしながら、パルメニデスやプラトンが国家の統括者としての認識を育てることで、哲学的?実力をつけていった。ということを知るにつけ、リハビリ室をしっかりと統括するという取り組みも必要な学びなのでは!?との思いとなって、いままで逃げてしまっていたことに取り組んでいこうとの思いとなっている。
そのことによって、少しでも実力をつけて再度ブログに取り組んでいきたいと思っている。弁証法的に言えば、否定の否定となるように取り組むつもりである。
一刻でも早く、まともな文章を書くべく書く、ということを再開したいと思うのだが、自身の職場の解決せねばならない問題があり、もう少しの間、現状の覚え書レベルのブログ記事が精一杯となってしまいそうである。
ここからは言い訳である。これまで、クリニックのリハビリ室を統括せねばならない立場にありながら、そんなことに時間を取られたくないとの思いから随分と怠けてしまっていた。結果として、リハビリスタッフのレベルでの、スタッフ間の自然成長的な相互浸透の結果として、随分と規律の緩んだ状態へとなってしまっている。
しかしながら、パルメニデスやプラトンが国家の統括者としての認識を育てることで、哲学的?実力をつけていった。ということを知るにつけ、リハビリ室をしっかりと統括するという取り組みも必要な学びなのでは!?との思いとなって、いままで逃げてしまっていたことに取り組んでいこうとの思いとなっている。
そのことによって、少しでも実力をつけて再度ブログに取り組んでいきたいと思っている。弁証法的に言えば、否定の否定となるように取り組むつもりである。