横刺の練習した。集団で学ぶことの大事性痛感した。
昨夜の鍼実技の時間に刺鍼台を使った横刺(鍼を0度~5度の角度で、皮下浅く刺す手技)の練習を学生が互いにチェックしあうという形式で行った。
隣の同級生(女性)の行った横刺に驚かされた。最初見た瞬間、鍼がただ刺鍼台の上に置いてある様に見え、「?」との思いで「鍼刺して無い!?」と聞いてしまった。「刺してますよ!」との返事に良く良く見ると、おそらく100分の1ミリ単位の深さで鍼が刺されてあった。
自身では10分の1ミリ単位の深さで横刺行っており、それで充分と自惚れていただけに、心底驚かされ、自身の鍼のイメージ大きく広がったとの思いした。
それとともに、集団で学ぶことの意義の一つはこう言うことなのかと納得された。一クラス30人もいれば、ある事柄に関して一人や二人は抜群のことができる者はいるものである。その者との相互浸透で全体がレベルアップして行く過程の3年間であるならば、どれほどにか3年後には全体として、それと直接に自身がレベルアップして行けるだろうかと、希望、期待が大きく膨らんだ。
昨夜の鍼実技の時間に刺鍼台を使った横刺(鍼を0度~5度の角度で、皮下浅く刺す手技)の練習を学生が互いにチェックしあうという形式で行った。
隣の同級生(女性)の行った横刺に驚かされた。最初見た瞬間、鍼がただ刺鍼台の上に置いてある様に見え、「?」との思いで「鍼刺して無い!?」と聞いてしまった。「刺してますよ!」との返事に良く良く見ると、おそらく100分の1ミリ単位の深さで鍼が刺されてあった。
自身では10分の1ミリ単位の深さで横刺行っており、それで充分と自惚れていただけに、心底驚かされ、自身の鍼のイメージ大きく広がったとの思いした。
それとともに、集団で学ぶことの意義の一つはこう言うことなのかと納得された。一クラス30人もいれば、ある事柄に関して一人や二人は抜群のことができる者はいるものである。その者との相互浸透で全体がレベルアップして行く過程の3年間であるならば、どれほどにか3年後には全体として、それと直接に自身がレベルアップして行けるだろうかと、希望、期待が大きく膨らんだ。