鍼灸学校で待望の脈診実技の学びが始まった。しっかりと自身の実力に、と思う。
脈診実技の学び、先ずは脈状診(六祖脈)の学び。脈の「浮・沈」「遅・数」「虚・実」から「表・裏」「寒・熱」「虚・実」を診る。ここまでであるならそれほどの困難も無く、観念論!と非難されるほどのことは無い、のではと思う。
軽く触れただけで脈が触れるものを「浮」それゆえ「表」(=浅いところ)に病がある。骨肉の間まで深く押し込んで脈が触れるものを「沈」それゆえ「裏」(=深いところ)に病がある。
一呼吸に脈が3回以下打つものを「遅」それゆえ「寒」(=冷えている)である。一呼吸に脈が6回以上打つものを「数」それゆえ「熱」(=熱がある)である。
脈拍に力が無く弱々しいのを「虚」それゆえ「虚」(=体力が弱い)である。脈拍に力があり強いのを「実」それゆえ「実」(=体力が強い)である。
(脈診の「虚・実」は脈状のこと。そこから診る「虚・実」は体力、体質のこと。)
要するに、事実を経験を踏まえて解釈しているだけ、なのであるから。それほどの違和感は無く、そんなものか、と思う。
問題はここから先、謂わば論理に論理を重ねて行くところにあるのでは、と思う。また、そこがたいていの鍼灸を学んだ者が、分からん!と成って投げ出すところなのでは、と思う。
脈診実技の学び、先ずは脈状診(六祖脈)の学び。脈の「浮・沈」「遅・数」「虚・実」から「表・裏」「寒・熱」「虚・実」を診る。ここまでであるならそれほどの困難も無く、観念論!と非難されるほどのことは無い、のではと思う。
軽く触れただけで脈が触れるものを「浮」それゆえ「表」(=浅いところ)に病がある。骨肉の間まで深く押し込んで脈が触れるものを「沈」それゆえ「裏」(=深いところ)に病がある。
一呼吸に脈が3回以下打つものを「遅」それゆえ「寒」(=冷えている)である。一呼吸に脈が6回以上打つものを「数」それゆえ「熱」(=熱がある)である。
脈拍に力が無く弱々しいのを「虚」それゆえ「虚」(=体力が弱い)である。脈拍に力があり強いのを「実」それゆえ「実」(=体力が強い)である。
(脈診の「虚・実」は脈状のこと。そこから診る「虚・実」は体力、体質のこと。)
要するに、事実を経験を踏まえて解釈しているだけ、なのであるから。それほどの違和感は無く、そんなものか、と思う。
問題はここから先、謂わば論理に論理を重ねて行くところにあるのでは、と思う。また、そこがたいていの鍼灸を学んだ者が、分からん!と成って投げ出すところなのでは、と思う。