暗唱について。知識的学びの恐さ感じる。
経穴の暗唱。年齢的に暗記は厳しいのでは?と戦々恐々だったのだが、実際に取り組んでみると予想外に簡単で、当初は、「経絡経穴概論」の授業の進行に合わせて経脈を一つずつと思っていたものが、現在では、やろうと思えば一日一経脈の暗唱も可能と思えるまでに量質転化している。
当初は、自身の暗記力が日々育っていくことが面白くもあり、朝に夜にYouTube で「経穴のうた」を聴き、暇さえあれば、「経穴のうた」を口遊み、であった。ので、ある意味そこまでやれば覚えて当然という状況でもあった。
しかしながら、である。往々にして、何事においても出来る事とやっていい事、やるべき事とが別である様に、この場合も、経穴を丸暗記・暗唱で覚える事が出来るからという理由で、経穴をその様に覚えてしまっていいとは限らないと言える。と思う。
結果として、経穴を覚えるという事が身に付いて行くに従って(量質転化)、ブログを書くことに苦しむ様になっていった。
より具体的には、常に「経穴のうた」がアタマの中をエンドレスで流れて、ブログを書くのに、書こうとする物事に関わっての思いが深まって行かない。という事にまでなっていった。
これは、ブログを書くということは、その時々で取り上げている物事の構造に分け入ることで、その物事の意味、意義を説(解)くことであり、論理的なアタマの働きを必要とするのに対して、暗記・暗唱は、中身のない言葉を知識的に覚えて行くことでしか無く、同じくに認識=像であっても、その厚みが全く違う。
当然にその像の形成のプロセスも全く違ってくる。から、経穴名という言葉の暗記・暗唱に、知識的に働くことに馴染んだ(量質転化した)アタマの働きは、ブログを書く=対象の構造に分け入るという働きに馴染まない。のだと思う。
ただ、こういう事は、数年前のドイツ語の学びに関わっての例文暗唱では無かっただけに、暗記・暗唱だけの問題では無く、自身のアタマの実体としての衰えの問題も絡んでいるのかもしれない。とも思う。
これに関わって、東洋医学が対象の構造に分け入っての発展を、し続けられなかった理由は、中国人の権威主義だけでなく、強烈な知識的学びである科挙の存在が大きいのではと思える。
詳細は、いずれ実力を蓄えてと思うが、「黄帝内経」成立の頃ぐらいまでは、そもそもが書物というものすらが存在しない、あっても稀な時代であり、知識的に学ぼうにも学ぶものが存在しない以上、古代ギリシャの哲学者の如くに、事実に関わっての学びの積み重ねの結果を陰陽五行説等の力を借りて整理分類し、理論化?していった、いくしかなかった。の成果が「黄帝内経」であり、その「黄帝内経」が次第次第に、権威となっていくとともに科挙が制度として確立されていって、中国の文化を担うべき人々が権威主義的、知識的にしかアタマを働かすことが出来なくなっていって、それとともに東洋医学が発展を止めて衰退していくという、五行で言えば、生、長、化、収、蔵という過程があった。のでは無いかと思う。
経穴の暗唱。年齢的に暗記は厳しいのでは?と戦々恐々だったのだが、実際に取り組んでみると予想外に簡単で、当初は、「経絡経穴概論」の授業の進行に合わせて経脈を一つずつと思っていたものが、現在では、やろうと思えば一日一経脈の暗唱も可能と思えるまでに量質転化している。
当初は、自身の暗記力が日々育っていくことが面白くもあり、朝に夜にYouTube で「経穴のうた」を聴き、暇さえあれば、「経穴のうた」を口遊み、であった。ので、ある意味そこまでやれば覚えて当然という状況でもあった。
しかしながら、である。往々にして、何事においても出来る事とやっていい事、やるべき事とが別である様に、この場合も、経穴を丸暗記・暗唱で覚える事が出来るからという理由で、経穴をその様に覚えてしまっていいとは限らないと言える。と思う。
結果として、経穴を覚えるという事が身に付いて行くに従って(量質転化)、ブログを書くことに苦しむ様になっていった。
より具体的には、常に「経穴のうた」がアタマの中をエンドレスで流れて、ブログを書くのに、書こうとする物事に関わっての思いが深まって行かない。という事にまでなっていった。
これは、ブログを書くということは、その時々で取り上げている物事の構造に分け入ることで、その物事の意味、意義を説(解)くことであり、論理的なアタマの働きを必要とするのに対して、暗記・暗唱は、中身のない言葉を知識的に覚えて行くことでしか無く、同じくに認識=像であっても、その厚みが全く違う。
当然にその像の形成のプロセスも全く違ってくる。から、経穴名という言葉の暗記・暗唱に、知識的に働くことに馴染んだ(量質転化した)アタマの働きは、ブログを書く=対象の構造に分け入るという働きに馴染まない。のだと思う。
ただ、こういう事は、数年前のドイツ語の学びに関わっての例文暗唱では無かっただけに、暗記・暗唱だけの問題では無く、自身のアタマの実体としての衰えの問題も絡んでいるのかもしれない。とも思う。
これに関わって、東洋医学が対象の構造に分け入っての発展を、し続けられなかった理由は、中国人の権威主義だけでなく、強烈な知識的学びである科挙の存在が大きいのではと思える。
詳細は、いずれ実力を蓄えてと思うが、「黄帝内経」成立の頃ぐらいまでは、そもそもが書物というものすらが存在しない、あっても稀な時代であり、知識的に学ぼうにも学ぶものが存在しない以上、古代ギリシャの哲学者の如くに、事実に関わっての学びの積み重ねの結果を陰陽五行説等の力を借りて整理分類し、理論化?していった、いくしかなかった。の成果が「黄帝内経」であり、その「黄帝内経」が次第次第に、権威となっていくとともに科挙が制度として確立されていって、中国の文化を担うべき人々が権威主義的、知識的にしかアタマを働かすことが出来なくなっていって、それとともに東洋医学が発展を止めて衰退していくという、五行で言えば、生、長、化、収、蔵という過程があった。のでは無いかと思う。