日常生活を護身の観点からチェックした。習慣化した行動を変えることの困難さ痛感する。
自身の日常生活の行動を護身という観点から捉え返すと、あまりにも隙だらけという現実痛感する。
例えば、横断歩道での信号待ちで安易に道路ギリギリまで前に出る。電車で安易に座る。電車の最前部の車両に乗る。等々。
必要に迫られてそうするのであれば、後ろから突き飛ばされたら。前に立ってる人間が攻撃して来たら。電車が脱線事故を起こし何処かに突っ込んだら。と少なくとも覚悟してその行動を取らねばと思う。にもかかわらず、である。
そういう日常生活のチェックの一つとして、電車の後部車両に乗るがあった。
実際に最前部の車両に乗る習慣が確立した後に、後部車両に乗ろうとすると、意識しないと、いつの間にか最前部の車両に乗っていたという現実がある。
当初は、仕方ないとそのまま最前部の車両に乗っていたのだが、それでは何時まで経っても変わらないので、最前部に向かった時には、気付いたところで回れ右して、一度階段を上って改札からやり直しをした。
最前部の車両に乗ってしまった時に、そのまま「失敗した、次こそは!」と思って乗っていた時は、一向に変わらなかったのだが、「失敗した、改札からやり直し!」とやり直しだしてからは、次第次第に気づくのが早くなって行って、数日にして、階段を降りる前に気づく様になった。
この実践で気づいたことは、人間の無意識の習慣は一度出来上がるとなかなかに変え難いということであり、それを変えるには、アタマの中で変えようと思うだけでは無しに実際の行動を変え続けなければ変わり難いのだという事。
逆に、それだけに何事においても初心の時ほどに変な癖を付けない様にとの細心の注意が必要と、、、。
自身の日常生活の行動を護身という観点から捉え返すと、あまりにも隙だらけという現実痛感する。
例えば、横断歩道での信号待ちで安易に道路ギリギリまで前に出る。電車で安易に座る。電車の最前部の車両に乗る。等々。
必要に迫られてそうするのであれば、後ろから突き飛ばされたら。前に立ってる人間が攻撃して来たら。電車が脱線事故を起こし何処かに突っ込んだら。と少なくとも覚悟してその行動を取らねばと思う。にもかかわらず、である。
そういう日常生活のチェックの一つとして、電車の後部車両に乗るがあった。
実際に最前部の車両に乗る習慣が確立した後に、後部車両に乗ろうとすると、意識しないと、いつの間にか最前部の車両に乗っていたという現実がある。
当初は、仕方ないとそのまま最前部の車両に乗っていたのだが、それでは何時まで経っても変わらないので、最前部に向かった時には、気付いたところで回れ右して、一度階段を上って改札からやり直しをした。
最前部の車両に乗ってしまった時に、そのまま「失敗した、次こそは!」と思って乗っていた時は、一向に変わらなかったのだが、「失敗した、改札からやり直し!」とやり直しだしてからは、次第次第に気づくのが早くなって行って、数日にして、階段を降りる前に気づく様になった。
この実践で気づいたことは、人間の無意識の習慣は一度出来上がるとなかなかに変え難いということであり、それを変えるには、アタマの中で変えようと思うだけでは無しに実際の行動を変え続けなければ変わり難いのだという事。
逆に、それだけに何事においても初心の時ほどに変な癖を付けない様にとの細心の注意が必要と、、、。