東洋医学の実践的理論研究~人間が病むということの過程的構造からの東洋医学的治療論の研究~

人間が病むということの過程的像から、鍼灸等の問題を説いてみたいと思います。よろしくお願いいたします。

鍼灸如何に学ぶべきか、について〜学びかたを問う必要性〜

2019-05-15 12:35:31 | 覚え書
鍼灸を学ぶのに何故にその学びかたを問わねばならないのか?

端的には、世界は過程の複合体であるから。

より構造的には、世界のあらゆる事物は(それゆえに鍼灸というものも、それを修得するということも)、過程性、構造性を持っての存在であるから、如何なる過程的構造(あるいは構造的過程)を持って、持たせて学ぶかで、その結果としての習得、修得の在り方が大きく違ってくる、からである。

それに対して、鍼灸学校で教わることを素直に学べばそれで良いのでは?との反論、あるいは忠告(もいただいたが)も、当然あると思う。

しかしながら、人間というものは目的意識的存在であり、それゆえに如何なる目的意識で学ぶかによってその成果は異なってくるのであるから、とともに通常の人間は何か新しいことを学ぶのにもって自身の過去の成功(と失敗)とから、それを学んでしまうものであるから、仮にまともな学びの筋道を示されても、それを自身のレベルに引き下げて実践してしまうのが通常であるから、それだけにしっかりと学びかたを問うての学びでなければならない。

また、「意思はそのものの内に理論的なものを含む」(ヘーゲル)から、と言っても良い、と思える。

ただし、その対象をその対象のレベルで習(修)得したいと思うならばであって、例えば、国試に合格出来ればそれで良いというのならば、学びかたはどうでも良いということに......。
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