東洋医学の実践的理論研究~人間が病むということの過程的構造からの東洋医学的治療論の研究~

人間が病むということの過程的像から、鍼灸等の問題を説いてみたいと思います。よろしくお願いいたします。

本能に代わる認識の働き〜自損事故に思う(2)〜

2024-10-23 05:33:11 | 治療論
 端的には、人間はやっちゃいけないことをやるから病気になる。(認識の問題)それに対して動物は本能に導かれて、やっちゃいけないことはやらない。やらなきゃいけないことはやるから、人間で言えば怪我や衰えはあっても(そこからの人間の病気と同様の経過をたどることはあっても)人間のような病気にはならない、である。

 これに対して、うちの猫は腎臓病や肝炎、癌になった。うの犬は糖尿病になった。との反論があるかとも思うけれども、それはペットとしての動物であって、人間の認識が関わっている(人間の与える餌を食べ。人間の住居に住み。あろうことか手押し車で散歩?して等々)からの、である。

 それゆえに、ほとんど本能を失ってしまって認識に従って行動する我々人類は、何をなすにしても、対象の構造に分け入っていって、その把握した対象の構造に見合った形で対象に関わること、が求められる。
 そうでなければ成功するか、失敗するかは偶然の、となって病弱で病気ばかりする人もいれば、風邪の一つも引かないという天と地との差としてなってしまうものである。

 また、それゆえに対象の構造をそれなりに把握していった人類は食事法(例えば四群点数法)とか運動法(例えばラジオ体操)を創り出すことになっていくのである。

 そういう意味で何度か言及している「股関節重心」ということは、本来そのような姿勢、歩き方、走り方、座り方が人間の体の構造に見合ったものであるから、本能に従ったものであるから、膝痛、腰痛、肩こり、首こり、喘息、花粉症、耳鳴り等々の病からの回復を促してくれる。逆から言えばそうなっていくことを防いでくれるのだと思う。
 もちろん、これらは重心の問題だけではなしに、その他の条件との複合的なものではあるのだけれども。(例えば、食の偏り(これは人間にとっての食とは何か、どうあるべきかとして機会があれば説きたい)、過剰な運動、ストレス等々。)
 
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