肉無しの食生活のあり方を考える参考にと、ビーガン、ベジタリアン、マクロビ、玄米菜食等々について、あれこれ調べている。健康法としてと動物愛護的?の二つの流れがある。と思える。
ビーガン、ベジタリアンといった場合は、現在では健康法というより、動物愛護的?な流れになっていると思える。「牛を食べるのは可哀想、残酷」ということか?
それに対して、マクロビや玄米菜食といった場合は、身土不二が健康につながる。ということであって、牛を食べないというのは結果論でしかない。
そう言う意味では、逆に、狩猟民族である欧米人にとっては、牛等の獣肉を食べるのがマクロビなのかも知れない。
さて、ではマクロビとベジタリアン・ビーガンは、同じく肉を食べない食事法であるけれども、どちらが良いのだろうか?
身土不二であるから、その土地で取れるもの、その土地で伝統的に食べ続けられているものを食べるのがよい。というマクロビの主張。
牛や豚の様に高等な知能?を持った動物を食べるということは、残酷であるし道徳的にも許されるものではない。というベジタリアン・ビーガンの主張。
どちらにもそれなりの正当性があると思えるが、ここは事実的、感情的に考えるのでは無く、論理的に食とは何か、また人間にとっての食とは何かと原点から考えてやらねばならない。と思う。
ビーガン、ベジタリアンといった場合は、現在では健康法というより、動物愛護的?な流れになっていると思える。「牛を食べるのは可哀想、残酷」ということか?
それに対して、マクロビや玄米菜食といった場合は、身土不二が健康につながる。ということであって、牛を食べないというのは結果論でしかない。
そう言う意味では、逆に、狩猟民族である欧米人にとっては、牛等の獣肉を食べるのがマクロビなのかも知れない。
さて、ではマクロビとベジタリアン・ビーガンは、同じく肉を食べない食事法であるけれども、どちらが良いのだろうか?
身土不二であるから、その土地で取れるもの、その土地で伝統的に食べ続けられているものを食べるのがよい。というマクロビの主張。
牛や豚の様に高等な知能?を持った動物を食べるということは、残酷であるし道徳的にも許されるものではない。というベジタリアン・ビーガンの主張。
どちらにもそれなりの正当性があると思えるが、ここは事実的、感情的に考えるのでは無く、論理的に食とは何か、また人間にとっての食とは何かと原点から考えてやらねばならない。と思う。