たしか「吾輩は猫である」に出てたような気がして、何十年ぶりかで読み直してみました。
そしたら、「代言」は出てきましたけど、「三百」はついてませんでした。
でもこれは結構難しい小説で、中学生の時に途中で投げ出して高校生の時になんとか一応全部読んだ(注釈を見ながら)記憶が。
で、先ほど読み直していたら、差別用語はバンバン出てくるし、職業や人を馬鹿にしたような言葉もどんどん出てくるし…。こんなのを少年少女に推薦していいの?という単純な疑問が浮かぶ。
まあ、明治時代の小説だから…。
たとえば金満家の妻が苦沙弥先生の所にやってきて、(それはまあ憎たらしい感じに描かれているんですけど)、その娘と、先生の所に出入りしている元書生の寒月君との縁談話が出たら、「百獣の中で最も聡明なる大象と、もっとも貪婪なる小豚と結婚するようなものだ」と、娘を小豚といってこき下ろしている。
ぷっと吹き出すような面白いところも随所にあるんですけど、トチメンボーとかオタンチンパレオロガスとか、知識のない人を馬鹿にしたような言いっぱなしも沢山あり…。
あるいは本当か法螺か分からない話も随所にあり…。
で、たぶん昔中学生の時読み切れなかったんだ、と思います。
それでも、これを読んで、戒名には「○○居士」とつけるんだと、中学の時初めて知りました(女性は居士ではない、ということはさらに後年知ることになる)。
あるいは、苦沙弥先生の細君が義太夫を聞きに行きたがって、連れて行こうとすると、先生急に悪寒がして具合が悪くなり、治らなくて、もう時間的に到底間に合わない、という時に急に快復するという話には、やはりどうしても気が向かないときには具合が悪くなるものなんだなと、理解しました。「あるある!」です。
それにしても少年少女に推薦するには、難しすぎると思うのですが、本の帯には「文豪漱石の日本の名作、大人になる前に必ず読もう!」と書いてあります…。
これ注釈がついていてもなかなかしんどい読み物です。