奈良の街の中心、猿沢池から街路を南へ500mほども行くと元興寺に着きます。
仏教伝来の後、最初の寺は蘇我氏が飛鳥に建てた法興寺。それが平城遷都とともに奈良
に移された寺がこの元興寺だといいます。奈良の時代、学問、文化の中心として栄えた寺。
やがて仏教の教えにいう正法千年、像法千年の後に到来する末法の時代に入るとされた
平安時代の末。阿弥陀如来の住まう極楽浄土への往生を願う浄土信仰が俄かに拡がりを
見せ、寺の一部は極楽坊と呼ばれ浄土信仰の中心の地となります。
その後、中世から近世に至るまで、この寺は様々な信仰が入り交り、庶民に支えられた
長く静かな時を経ることになるのです。
境内を取り囲むように置かれた庶民の信仰の証、無数の石仏。本堂の屋根の残る法興寺
以来の日本最初の瓦。黒く沈んだ柱、扉、格子戸、縁、そんなものに長い長い時間と
籠められた人々の念を想います。(国宝、世界文化遺産登録)








仏教伝来の後、最初の寺は蘇我氏が飛鳥に建てた法興寺。それが平城遷都とともに奈良
に移された寺がこの元興寺だといいます。奈良の時代、学問、文化の中心として栄えた寺。
やがて仏教の教えにいう正法千年、像法千年の後に到来する末法の時代に入るとされた
平安時代の末。阿弥陀如来の住まう極楽浄土への往生を願う浄土信仰が俄かに拡がりを
見せ、寺の一部は極楽坊と呼ばれ浄土信仰の中心の地となります。
その後、中世から近世に至るまで、この寺は様々な信仰が入り交り、庶民に支えられた
長く静かな時を経ることになるのです。
境内を取り囲むように置かれた庶民の信仰の証、無数の石仏。本堂の屋根の残る法興寺
以来の日本最初の瓦。黒く沈んだ柱、扉、格子戸、縁、そんなものに長い長い時間と
籠められた人々の念を想います。(国宝、世界文化遺産登録)







