西院伽藍と並んで法隆寺の中核を為すのは、境内の最東端、東院伽藍です。
東大門を通り長い石畳の道を経て、その中心夢殿を拝します。
聖徳太子一族の住居であったと伝える斑鳩宮の跡に、天平11年(739)建てられた八角
円堂。いつのころからか、夢殿とよばれるようになったようです。
お堂の周りをゆっくり回ります。その微妙な角度をもつ壁を伝う感覚は、不思議な夢の世界
に導かれる思いです。
夢殿の厨子の中にはあの救世観音が安置されています。(春秋年2回のみの開帳)
救世観音と言えば、思い出される話・・
明治初年の廃仏毀釈を憂い、日本の文化、美術の保護に立ちあがった米人美術研究家
フェノロサ。この夢殿の中に木綿の布を幾重にも巻かれて千年の時を眠る「絶対秘仏」が
あると・・。政府の許可証を掲げて「鍵を開けてください」と迫るフェノロサ。恐怖のあまり逃げ
去っていった僧侶達。そんな中で450mもあったという布の最後の一片が取り払われた
あとに現れた不思議な微笑みを湛えた菩薩「救世観音」。
明治17年、この世界にも比類のない彫像の再出現の話。けっこう有名ですよね。
夢殿のあと、その東隣、中宮寺に参り、あの懐かしい弥勒菩薩(寺伝如意輪観音)を拝し
ました。南大門への長い石の道を戻りながら思ったこと・・。
この華麗で壮大な伽藍と仏。法隆寺は現代に生きる寺というよりも、日本の寺院の、文化
のひとつの大きな幹の発祥の地だという印象がするのです。








東大門を通り長い石畳の道を経て、その中心夢殿を拝します。
聖徳太子一族の住居であったと伝える斑鳩宮の跡に、天平11年(739)建てられた八角
円堂。いつのころからか、夢殿とよばれるようになったようです。
お堂の周りをゆっくり回ります。その微妙な角度をもつ壁を伝う感覚は、不思議な夢の世界
に導かれる思いです。
夢殿の厨子の中にはあの救世観音が安置されています。(春秋年2回のみの開帳)
救世観音と言えば、思い出される話・・
明治初年の廃仏毀釈を憂い、日本の文化、美術の保護に立ちあがった米人美術研究家
フェノロサ。この夢殿の中に木綿の布を幾重にも巻かれて千年の時を眠る「絶対秘仏」が
あると・・。政府の許可証を掲げて「鍵を開けてください」と迫るフェノロサ。恐怖のあまり逃げ
去っていった僧侶達。そんな中で450mもあったという布の最後の一片が取り払われた
あとに現れた不思議な微笑みを湛えた菩薩「救世観音」。
明治17年、この世界にも比類のない彫像の再出現の話。けっこう有名ですよね。
夢殿のあと、その東隣、中宮寺に参り、あの懐かしい弥勒菩薩(寺伝如意輪観音)を拝し
ました。南大門への長い石の道を戻りながら思ったこと・・。
この華麗で壮大な伽藍と仏。法隆寺は現代に生きる寺というよりも、日本の寺院の、文化
のひとつの大きな幹の発祥の地だという印象がするのです。







