明治の新しい日本の始まりとともに、遥々海を越えて来日、神戸の居留地に
住んだ外国人の目には、堂徳山の緑を背後に南面した北野と呼ばれる傾斜地は、
格好の住居地と映ったことでしょう。
明治の後年、多くの外国人住宅が建てられました。
100年の時を経て、今に残るそれらの「異人館」を訪ねれば、当時のヨーロッパの
文化や生活習慣の残り香がそのまま残されており、訪れる者にある感慨をもたらす
のです。それは、当時の日本人が、夢と憧れを持って希求したであろう欧州が
そこにあるという思いなのでしょうか・・。
風見鶏の館
この館の尖塔に立つ風見鶏は、北野の街のシンボルと言われる存在です。
明治42年、ドイツ人貿易商G・トーマン氏の自宅としてドイツ人建築家の設計に
より建築、この辺りでは唯一のレンガ造です。
重厚なドイツの伝統様式を採り入れながら、随所に19世紀末から20世紀初頭
のアール・ヌーボー様式を感じさせるデザインが見られます。
1枚目の写真は、館前の広場に後年置かれたトランペット吹きです。訪れる人の
逸る気持ちを盛りたてるようです。










住んだ外国人の目には、堂徳山の緑を背後に南面した北野と呼ばれる傾斜地は、
格好の住居地と映ったことでしょう。
明治の後年、多くの外国人住宅が建てられました。
100年の時を経て、今に残るそれらの「異人館」を訪ねれば、当時のヨーロッパの
文化や生活習慣の残り香がそのまま残されており、訪れる者にある感慨をもたらす
のです。それは、当時の日本人が、夢と憧れを持って希求したであろう欧州が
そこにあるという思いなのでしょうか・・。
風見鶏の館
この館の尖塔に立つ風見鶏は、北野の街のシンボルと言われる存在です。
明治42年、ドイツ人貿易商G・トーマン氏の自宅としてドイツ人建築家の設計に
より建築、この辺りでは唯一のレンガ造です。
重厚なドイツの伝統様式を採り入れながら、随所に19世紀末から20世紀初頭
のアール・ヌーボー様式を感じさせるデザインが見られます。
1枚目の写真は、館前の広場に後年置かれたトランペット吹きです。訪れる人の
逸る気持ちを盛りたてるようです。









