明治10年の西南戦争の際、敵味方の区別なく傷病兵の救護に当った博愛社が
前身。明治19年、ジュネーブ条約に加盟し、日本赤十字社と名を改め、皇室から
東京渋谷区の広尾に敷地を下賜され、明治23年にこの病院が建設されます。
広大な敷地に中庭を囲んで9棟の病棟が並ぶ、大規模な病院です。その内の
1棟が移築されています。
設計は、赤坂離宮の設計で知られる片山東熊。離宮とは異なり、質素で落ち付いた
建物として計画。外部はハーフ・ティンバーを模したデザインで、軒の飾りや棟上の
換気塔など随所に楽しい工夫が見られます。
樹木に囲まれた今の移築環境は、ひょっとしたら新築当時の広尾を情景を想い
出させるものかもしれません。
広くとられた廊下の窓には、森の木々と広い空が映っていました。
病室のベッドの傍には、点滴の器具や病院食の食器まで置かれ、あの消毒の匂い
とともに看護婦さんの高い声まで聞こえてきそう・・
希望と不安、喜びと悲しみ、そんなものが縒り合わさった病棟独特の空気が
漂ってくるようでした。
(昭和49年明治村に移築。)










前身。明治19年、ジュネーブ条約に加盟し、日本赤十字社と名を改め、皇室から
東京渋谷区の広尾に敷地を下賜され、明治23年にこの病院が建設されます。
広大な敷地に中庭を囲んで9棟の病棟が並ぶ、大規模な病院です。その内の
1棟が移築されています。
設計は、赤坂離宮の設計で知られる片山東熊。離宮とは異なり、質素で落ち付いた
建物として計画。外部はハーフ・ティンバーを模したデザインで、軒の飾りや棟上の
換気塔など随所に楽しい工夫が見られます。
樹木に囲まれた今の移築環境は、ひょっとしたら新築当時の広尾を情景を想い
出させるものかもしれません。
広くとられた廊下の窓には、森の木々と広い空が映っていました。
病室のベッドの傍には、点滴の器具や病院食の食器まで置かれ、あの消毒の匂い
とともに看護婦さんの高い声まで聞こえてきそう・・
希望と不安、喜びと悲しみ、そんなものが縒り合わさった病棟独特の空気が
漂ってくるようでした。
(昭和49年明治村に移築。)









