鎌倉時代の建保2年(1214)、栄西がこの地に宝遊山広福禅寺を創建。
その後、真言宗、天台宗と宗派が変わり、今は釈迦堂として一棟のみが残る寺となりました。
この建物は1327頃の建立と見られ、鎌倉時代後期の禅宗様式の典型的な仏堂と
言われます。桁行3間、梁間3間、裳階(もこし)付き、寄棟造、本瓦葺。
この地は、JR紀勢本線加茂郷駅の東方2.5kほど。私は物好きですから、
海南市街から熊野古道(紀伊路)の藤白(ふじしろ)坂を上り、山上の地蔵峰寺におまいり
して、山を下って県道を経由する道を選びました。善福寺まで7、8kというところでしょうか。
静かな山麓の集落の中、白壁に囲まれた寺の屋根が見えてきます。
短い石段を上ると、狭い敷地に眼前一杯のお堂。
正面から見上げた時、私の頭のなかにある代表的な禅宗様のお堂(例えば、
正福寺地蔵堂(東京東村山)、功山寺仏殿(山口長府)など)と、随分異なる印象を受けるのです。
それは、これらのお堂が檜皮葺、入母屋造であるのに対し、
目の前のお堂が本瓦葺、寄棟造であることに拠っているようです。
近ずけば、藁座付の桟唐戸、格子戸、木製の礎盤を介して自然石礎石にのる柱、堅板壁。
いずれも入念な補修、管理のもと、古さを感じさせない見事なものです。
ただ・・私はこのお堂から、一面識、人を寄せ付けない厳しさのようなものを感じたこと・・
加茂郷駅に向う道すがら、そのことを思い返していました。
その後、真言宗、天台宗と宗派が変わり、今は釈迦堂として一棟のみが残る寺となりました。
この建物は1327頃の建立と見られ、鎌倉時代後期の禅宗様式の典型的な仏堂と
言われます。桁行3間、梁間3間、裳階(もこし)付き、寄棟造、本瓦葺。
この地は、JR紀勢本線加茂郷駅の東方2.5kほど。私は物好きですから、
海南市街から熊野古道(紀伊路)の藤白(ふじしろ)坂を上り、山上の地蔵峰寺におまいり
して、山を下って県道を経由する道を選びました。善福寺まで7、8kというところでしょうか。
静かな山麓の集落の中、白壁に囲まれた寺の屋根が見えてきます。
短い石段を上ると、狭い敷地に眼前一杯のお堂。
正面から見上げた時、私の頭のなかにある代表的な禅宗様のお堂(例えば、
正福寺地蔵堂(東京東村山)、功山寺仏殿(山口長府)など)と、随分異なる印象を受けるのです。
それは、これらのお堂が檜皮葺、入母屋造であるのに対し、
目の前のお堂が本瓦葺、寄棟造であることに拠っているようです。
近ずけば、藁座付の桟唐戸、格子戸、木製の礎盤を介して自然石礎石にのる柱、堅板壁。
いずれも入念な補修、管理のもと、古さを感じさせない見事なものです。
ただ・・私はこのお堂から、一面識、人を寄せ付けない厳しさのようなものを感じたこと・・
加茂郷駅に向う道すがら、そのことを思い返していました。