平城京の西部は古くから西ノ京と呼ばれていましたが、この地には、西大寺、
喜光寺、唐招提寺など長い歴史を背負った大寺が多くあり、薬師寺もその一つです。
この寺は、天武天皇の9年(680)建立が発願され、文武天皇の2年(698)頃、
ほぼ完成をみたと伝えられます。その後、平城京遷都に伴ない、和銅3年(710)
現在の地に移ります。
近代、この寺を特に著名なものとしているのは、寺創建の飛鳥時代後期制作の
銅造薬師三尊像(金堂)、そして銅造聖観音立像(東院堂)でしょうか。
わが国の仏像彫刻の中でも特に優れたものと言われ、国宝中の国宝と賞されます。
罰あたりを恐れず敢えて言えば、私はこの聖観音像が特に好きです。東院堂の
暗さでは細部を詳らかではないのですが、若い日に見た土門拳の「古寺巡礼」で
見た写真の印象が忘れられないのです。
奈良時代天平年間から唯一残る東塔(裳階を有する独特の三重塔:国宝)は、
2009年から9年間の解体修理の最中で覆いの中、見ることはできません。
1970年代以降、当時の高田好胤管長により、白鳳伽藍復興事業が進められ、
金堂、西塔、中門、回廊、大講堂などが再建されました。それらは白鳳の当時の
形と色彩を再現したものと思われ、その極彩の世界は目を見張るものでした。
・・と同時に、少なからずの戸惑いを感ずるものでもありました。
大講堂
回廊
東院堂
中門と金堂
金堂
金堂の扉
薬師如来台座の彫刻
西塔
喜光寺、唐招提寺など長い歴史を背負った大寺が多くあり、薬師寺もその一つです。
この寺は、天武天皇の9年(680)建立が発願され、文武天皇の2年(698)頃、
ほぼ完成をみたと伝えられます。その後、平城京遷都に伴ない、和銅3年(710)
現在の地に移ります。
近代、この寺を特に著名なものとしているのは、寺創建の飛鳥時代後期制作の
銅造薬師三尊像(金堂)、そして銅造聖観音立像(東院堂)でしょうか。
わが国の仏像彫刻の中でも特に優れたものと言われ、国宝中の国宝と賞されます。
罰あたりを恐れず敢えて言えば、私はこの聖観音像が特に好きです。東院堂の
暗さでは細部を詳らかではないのですが、若い日に見た土門拳の「古寺巡礼」で
見た写真の印象が忘れられないのです。
奈良時代天平年間から唯一残る東塔(裳階を有する独特の三重塔:国宝)は、
2009年から9年間の解体修理の最中で覆いの中、見ることはできません。
1970年代以降、当時の高田好胤管長により、白鳳伽藍復興事業が進められ、
金堂、西塔、中門、回廊、大講堂などが再建されました。それらは白鳳の当時の
形と色彩を再現したものと思われ、その極彩の世界は目を見張るものでした。
・・と同時に、少なからずの戸惑いを感ずるものでもありました。
大講堂
回廊
東院堂
中門と金堂
金堂
金堂の扉
薬師如来台座の彫刻
西塔