平城京の西、西大寺の南2kほどに唐招提寺はあります。
寺号は「唐僧鑑真のための寺」という意味を持つのだそうです。
伝戒の師として日本に招かれ鑑真は、天平勝宝5年(753)六度目の渡航計画
で来日を果たします。それは度重なる苦難の末、当時66歳、失明の身となって
いたと言われます。これらのこと、井上靖の小説「天平の甍」によって広く知られる
ようになったこと。
南大門を入ると正面に金堂、その背後の講堂(いずれも国宝)があります。
その東側に鼓楼(国宝)、礼堂(重文)、宝蔵(国宝)、経蔵(国宝)など多くの伽藍が並びます。
金堂は鑑真の没後、日の浅い8世紀末の建立と推定されています。
桁行7間、梁間4間、寄棟造、本瓦葺き。2000年から9年を要した解体修理を終え、
大棟の左右に鴟尾を飾る、厚みを持った見事な屋根が鮮やかに青空に映えていました。
堂内には、廬舎那仏、薬師如来、千手観音を中心に梵天・帝釈天、四天王が並びます。
特に、実際に千本に近い手を持たれる千手観音の異様とも言える姿と、不思議な遠い
表情に魅せられます。
講堂は760年頃、平城京の宮廷建築を移築して一部改造したもので、寺院建築とは
一味違った趣も魅力に感じられます。
鼓楼や礼堂は鎌倉時代の建立または改築ですが、鎌倉建築の簡潔さと力強さを備えた
見事なもの。
広い境内に、これらの伽藍が夫々の主張を持って並ぶ様は、その昔の宗教的緊張を
連想させるように思えます。
諸堂の上の青い空を仰ぎ見、昔の・・天平の空に思いを致す・・そんな唐招提寺でした。
金堂





講堂







寺号は「唐僧鑑真のための寺」という意味を持つのだそうです。
伝戒の師として日本に招かれ鑑真は、天平勝宝5年(753)六度目の渡航計画
で来日を果たします。それは度重なる苦難の末、当時66歳、失明の身となって
いたと言われます。これらのこと、井上靖の小説「天平の甍」によって広く知られる
ようになったこと。
南大門を入ると正面に金堂、その背後の講堂(いずれも国宝)があります。
その東側に鼓楼(国宝)、礼堂(重文)、宝蔵(国宝)、経蔵(国宝)など多くの伽藍が並びます。
金堂は鑑真の没後、日の浅い8世紀末の建立と推定されています。
桁行7間、梁間4間、寄棟造、本瓦葺き。2000年から9年を要した解体修理を終え、
大棟の左右に鴟尾を飾る、厚みを持った見事な屋根が鮮やかに青空に映えていました。
堂内には、廬舎那仏、薬師如来、千手観音を中心に梵天・帝釈天、四天王が並びます。
特に、実際に千本に近い手を持たれる千手観音の異様とも言える姿と、不思議な遠い
表情に魅せられます。
講堂は760年頃、平城京の宮廷建築を移築して一部改造したもので、寺院建築とは
一味違った趣も魅力に感じられます。
鼓楼や礼堂は鎌倉時代の建立または改築ですが、鎌倉建築の簡潔さと力強さを備えた
見事なもの。
広い境内に、これらの伽藍が夫々の主張を持って並ぶ様は、その昔の宗教的緊張を
連想させるように思えます。
諸堂の上の青い空を仰ぎ見、昔の・・天平の空に思いを致す・・そんな唐招提寺でした。
金堂





講堂






