私の住処から最も近い国宝建築であり度々訪れ、このブログにももう何度目かの登場です。
今は一般には不動院と呼ばれる真言宗の寺、朝日山安国寺不動院。
その金堂は、1540年頃、山口に建立されていたものを、戦国時代、この寺の住持であった
恵瓊(えけい)が移築したものと伝えます。
恵瓊という僧、羽柴秀吉の毛利攻めの際毛利の使僧として、また関ヶ原の戦いでの
西軍の一翼として、政治の世界に登場しますね・・
このお堂は、東京東村山の正福寺地蔵堂、鎌倉、円覚寺舎利殿、下関、功山寺仏殿などと
ともに禅宗様の代表的な建物と言われますが、それらのなかでも最も壮大な規模を誇ります。
屋根と庇の線と面が描く、無限の天空に向って展開する世界と・・
その下の木組みが造り出す、人の心の中に向う世界と・・
訪れる度に新たな感動を受けるお堂でもあります。
金堂の前、楼門の仁王、その800年を生きてきた素朴な表情、作者の強い心が伝わってきます。
併せて載せておきます。
今は一般には不動院と呼ばれる真言宗の寺、朝日山安国寺不動院。
その金堂は、1540年頃、山口に建立されていたものを、戦国時代、この寺の住持であった
恵瓊(えけい)が移築したものと伝えます。
恵瓊という僧、羽柴秀吉の毛利攻めの際毛利の使僧として、また関ヶ原の戦いでの
西軍の一翼として、政治の世界に登場しますね・・
このお堂は、東京東村山の正福寺地蔵堂、鎌倉、円覚寺舎利殿、下関、功山寺仏殿などと
ともに禅宗様の代表的な建物と言われますが、それらのなかでも最も壮大な規模を誇ります。
屋根と庇の線と面が描く、無限の天空に向って展開する世界と・・
その下の木組みが造り出す、人の心の中に向う世界と・・
訪れる度に新たな感動を受けるお堂でもあります。
金堂の前、楼門の仁王、その800年を生きてきた素朴な表情、作者の強い心が伝わってきます。
併せて載せておきます。
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