大久野島(おおくのしま)は、広島県竹原市忠海町の沖合い3kmにある
周囲4.3kmの小島です。
この島は明治30年、日露戦争に備えた芸予要塞の一角として、砲台などが
設置されたことに始まり、昭和に入りいわゆる毒ガスによる化学兵器の生産施設
が建設されるに至る、軍事一色の島でした。その存在は秘匿され、陸軍が発行
した地図にもこの島一帯は空白であり、「地図から消された島」と呼ばれていたと
いいます。
太平洋戦争終結時に島内に残留していた大量の毒ガスはGHQにより海洋投棄、
焼却、地中処分などにより処分されますが、除毒は不十分で、現在でも地中
4~5mの土壌中には高濃度のヒ素が検出されると言われます。
当時、施設で働いていた職員も中毒症状を生じ、忠海の病院では4500人もの
患者の治療にあたってきたとも・・
長年、この島を蝕んできた恐怖の負の遺産は、生き続けてきたのです。
昭和38年、国民休暇村に指定された島には、日本全国から多くの宿泊観光客が
訪れます。
昭和46年に島に放たれた8羽の兎は野生化し、今や300羽以上とも・・島の何処
を歩いていても駆け寄ってくるのです。
そんな、過去と現在が隔絶されたような島です。島の海岸の陰に潜む、発電場跡、
砲台跡、毒ガス貯蔵所跡など・・まず、発電場跡から見て回ります。
ここは戦争末期、風船爆弾が製造された施設でもあったとか・・






うさぎ

周囲4.3kmの小島です。
この島は明治30年、日露戦争に備えた芸予要塞の一角として、砲台などが
設置されたことに始まり、昭和に入りいわゆる毒ガスによる化学兵器の生産施設
が建設されるに至る、軍事一色の島でした。その存在は秘匿され、陸軍が発行
した地図にもこの島一帯は空白であり、「地図から消された島」と呼ばれていたと
いいます。
太平洋戦争終結時に島内に残留していた大量の毒ガスはGHQにより海洋投棄、
焼却、地中処分などにより処分されますが、除毒は不十分で、現在でも地中
4~5mの土壌中には高濃度のヒ素が検出されると言われます。
当時、施設で働いていた職員も中毒症状を生じ、忠海の病院では4500人もの
患者の治療にあたってきたとも・・
長年、この島を蝕んできた恐怖の負の遺産は、生き続けてきたのです。
昭和38年、国民休暇村に指定された島には、日本全国から多くの宿泊観光客が
訪れます。
昭和46年に島に放たれた8羽の兎は野生化し、今や300羽以上とも・・島の何処
を歩いていても駆け寄ってくるのです。
そんな、過去と現在が隔絶されたような島です。島の海岸の陰に潜む、発電場跡、
砲台跡、毒ガス貯蔵所跡など・・まず、発電場跡から見て回ります。
ここは戦争末期、風船爆弾が製造された施設でもあったとか・・






うさぎ

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