広島県の東部、福山市鞆(とも)町。
毎年春になると、古い家々に飾られる雛と、その街の風情に会いたくなります。
今年もやってきました。
鞆町は昔、鞆の津と呼ばれ、瀬戸内海の中央に位置し、引き潮、満ち潮が出会い、
別れる場所であることから、古くから九州大宰府へまた遠く中国や朝鮮に向う船の
潮待ちの港として栄えた所です。
しかし、現在は・・迫る山と海の間の僅かの空間に伸びた街の道は狭く、内陸と
繋がる車社会の利便を損なうものとなっているのです。
港の先に橋を架けるという解決策も出され、
景観を守るか、利便や街の発展を採るか・・長年争われてきた難題でした。
でも、でも、偶に街を訪れる者にとっては、長い時の間、人々の生活が沁み込んで
きたような、この狭い道こそ本当の道だと思えるのです。
そこに生活しない者の勝手な思いですがね・・
潮待ち茶屋の前を通り、保命酒の店を覗いて、「うーん」と腕組むおやじさんと
少し語り、若いカップルのいる港までの道をあるきました。
雛の頃・・おお忘れていました。雛の表情は次回に・・
毎年春になると、古い家々に飾られる雛と、その街の風情に会いたくなります。
今年もやってきました。
鞆町は昔、鞆の津と呼ばれ、瀬戸内海の中央に位置し、引き潮、満ち潮が出会い、
別れる場所であることから、古くから九州大宰府へまた遠く中国や朝鮮に向う船の
潮待ちの港として栄えた所です。
しかし、現在は・・迫る山と海の間の僅かの空間に伸びた街の道は狭く、内陸と
繋がる車社会の利便を損なうものとなっているのです。
港の先に橋を架けるという解決策も出され、
景観を守るか、利便や街の発展を採るか・・長年争われてきた難題でした。
でも、でも、偶に街を訪れる者にとっては、長い時の間、人々の生活が沁み込んで
きたような、この狭い道こそ本当の道だと思えるのです。
そこに生活しない者の勝手な思いですがね・・
潮待ち茶屋の前を通り、保命酒の店を覗いて、「うーん」と腕組むおやじさんと
少し語り、若いカップルのいる港までの道をあるきました。
雛の頃・・おお忘れていました。雛の表情は次回に・・
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