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広島江波山桜と東千田公園

2025-04-08 | お出かけ

本日、午前中はばあちゃんの茶話会。年度初めなので包括支援センターから職員の方が来て、登録カードの更新。書き方に戸惑う人には噛んで含めるように説明。職業柄とは言え、あの気の長さは見習わなければ。

午後から外出。ついでに東千田公園の広島江波山桜を見る。

市内電車、日赤前下車。すぐ目の前。

元は広島大学東千田キャンパス。教養部、理学部、政経学部、教育学部、文学部があった。戦前は広島文理科大学。

戦後、大学、師範学校、その他の学校が集まって新制広島大学となり、現在は東広島市に統合移転。市内霞町には医学部、歯学部、薬学部が残る。

以前はなかった広島江波山桜と、高いのはメタセコイヤ。

花の下に人は集う。

元々は広島市内の江波山に一本だけある広島江波山桜の枝を挿し木して増やしたもの。

八重咲のヤマザクラ。花弁が多く、花は20個くらいが房状に咲き、豪華です。

突然変異で出来たと考えられ、20年?くらい前に市?の天然記念物に。

元の木は根元にアスファルトの道があり、後ろは崖で条件が悪いのか、近年弱っています。次の世代が元気で育ちますように。

八重咲のヤマザクラ。あでやか。

実は生らないので挿し木で増やす。

でも枝を勝手に採ってはいけませんね。桜はそこから腐っていくと聞いた気がします。

元のグラウンド付近はタワマンに。奥のPの場所に文学部があった。

突き当りは左が理学部、右は政経学部があった。その前は広島文理科大学の建物。戦争末期には軍が接収して中国軍管区本部が置かれていた。

被爆建物なので壊すことはなく、利用の方法も決まらないらしく(未確認)、そのまま残っています。

教養部付近は公園に。春の日、子供たちや家族連れが遊んでいます。テント張っている人も。楽しそう~

教養部は3階の建物で、いちばん奥が美術教室、美術準備室がサークルのたまり場だった。

ここで私は今の同居人を調達したのでした。自宅通学だったので、大学にはお弁当持参、昼休み、一人で食べていた。

旧北門。

教養時代は全部の学部が一緒に学ぶ。どういういきさつだったか詳細は忘れたけど、たぶん学食で声かけられたんだったかな。

話の要旨は「あなたと同じ高校出身で**学部、夕方5時に正門で待ってる」というもの。我が高校は一学年約千人のマンモス校、私は高校時代勉強せずに遊びまくっていたので(学校帰りにうどんを食べながら友達♀と人の噂話をする、お互いの家に行ってお菓子を食べながら噂話をするなど)目立つ男の子はたいてい顔くらい知っていたけど、知らない人。

真面目そうな人だったけど、その頃の私は未熟でそのことの価値に気が付いてなかった。それに何よりも、遠い所へ来てまで同郷の人と付き合う気になれず、その日だけは北門から帰る。

今の夫とは同じ学部で、私にすっぽかされたとあとで言っていたらしい。すみません。

私は容姿も目立つわけではなく、背はすらりと高くなく、ごく普通の女の子であったわけですが、何でも面白がりよく笑う性格は、服で言うとユニクロ的手軽さ。それでカースト制度厳しきマンモス高校で、腐ることなく生き延びてきたのでした。今の反省はもう少し勉強すればよかったのですが、勉強より遊ぶ方か楽しかったのでつい。。。。親ももっと厳しく言ってくれればよかったのに、と人のせいにしてみる。

学校新聞に連載漫画頼まれたこともあるし、この縁は卒業後も続き、秋休みに帰省すると文化祭の展示のイラスト頼まれたこともある。下手なのに。

ああ、いかんですね。昔の場所を訪ねて、いろんなこと思い出した。自慢話になっていたら深謝。


高校で同じクラスだった子♀の下宿を訪ねて、私のところへも来てもらい、それから正門付近の店でお昼を食べて別れたのだった。その日の希望と心細さと。同じ季節、同じ春の日差しの下でその時の気分をまざまざと思い出した。

丁度今頃の季節。彼女もずっとこの地にいたけれど、体調悪く、家を整理して子供さんたちの近くへ行ってしまった。もうこの世では会えないのかと思うと切ない。

北門から電車通りへ回る。

変わらない中華料理の店。

五目そばが好きだった。当時は150円。消費税なし。

学生は殆どいなくなったけど(二部と通信制が残る)、学生街の値段。

人の体は思い出の容れ物。溢れることもなく、積み重なって行く。たまに底の方に手を入れて、古い記憶を取り出してみる。未熟でものを知らず、それでも元気に笑っていた日が遠いようでもあり、ついこの間のようでもあり。

ポケットの中の古い硬貨を握りしめるようにして、またこれからの残りの時間を生きていく。

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ブログのメンテナンスで胸が痛い

2025-04-06 | 随想

私はgooブログを4つ書いているのですが、長い間放置していた被爆証言集のブログ、その時の友達に17年ぶりに東京で会うので、読みやすいように体裁を整えています。

本日は2集を見直し、ファイルのなくなった、本文と直接関係ないカットは落とした。図表は元のデータを失くしているので、本のページを写真に撮って挿入する予定。

証言そのものは今は読みなおすことはないけれど、編集しながら、お話を聞いた時のことをまざまざと思い出していた。

元々は地元公民館の広報誌に、会が「ワープロ入力する人を募集している」とあったので、そのくらいならお手伝いできると思って軽い気持ちで参加。

行って見ると数人の会員、主に活動するのは3人くらい、気が付くとこの私も証言を聞き、テープ起こしをして原稿にまとめるということをやっていました。

ちょうど20年くらい前ですね。それまで断片的に被爆の話は耳にしましたが、長い時間をかけてじっくり話を聞くことはなかったので、その内容には結構衝撃を受けました。知っているつもりでしたが、実態はもっともっとひどいものでした。

「お水頂戴」という同級生の女の子を見捨てて逃げた・・・「私はそういう男なんです」と初老の男性が男泣きされるので、聞く私たちもついもらい泣きをしたことも。

極限の状況では人はどのように考え、動くのか。その事では多くのことを知りました。自分たちが本を作って世間に知らせるというのはおこがましい。私たちが被爆証言を聞くend userの側面もあったのだと今は思います。

自分の人生観が少し変わるくらいの体験でした。悲惨の極みで、人間の逞しさ、美しさが花開くのを知ったような気がしました。半面、その体験から何を考え、今のそしてこれからの日本の在り方をどうするかという聞かないという会の方針に、私自身はやや物足りなさも感じました。

原爆の被害が大きな自然災害のように語られ、それでお終いではいけないと思います。そこからは、人には思いやりを持ち、友達を仲間外れにしないという当たり障りのない結論が導き出されがち。

個人としてできることはとても限られていますが、どうしたら戦争をしないで済むか、学び、考える。それしかないように思います。


平和だからこそお菓子も買える。

明日の茶話会用。おかき、イチゴ大福、プリン。

自宅用。

頂きます。

舟入のダイキ隣、シャトレ―ゼで買う。私はもう車に乗らないので、夫に連れて行ってもらう。

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器用ではないけれど・・・

2025-04-06 | 随想

四月になれば暇になるはずが、引き続き忙しい。

自分の用事もあるけれど、人の世話も能力もないのについやってしまう結果、毎日あっという間に過ぎる。

この年なら、もう少しゆっくりしたいのですが、全然時間がありません。

自慢かな・・・愚痴かな・・・まあどっちでもいいけど、昨日はほぼ一日中、別のブログの作り替えをしていた。

以前、ある活動をしていて、期間中に本を5冊出した。同じ内容をネットでも公開することになり、それは手を挙げた私が担当。自分が契約しているプロバイダーのホームページサービスを使っていた。もう20年近く前の話です。同時にブログにも上げていたら、ホームページの方はサービス終了。

それで今や本以外で読んでもらえるのはブログだけになった。これが誠に読みにくい。ひとえに私の不手際のため。素直に順番通りにすればいいものを記事の中で他の記事にリンク付けたりして複雑怪奇。

ブログの記事もホームページのコピペで書いていたら、サービス終了で画像のみ消えてしまった。元の記事と画像のファイルも・・・パソコンも突然壊れたりして何度か替え、CD=Rに残したはずのも・・・紛失。

私のいい加減な性格がこんな場合はうんと悪い方に出てしまう。もう直らないのかもしれん。

今月半ば、東京でその時の仲間に会うことになっている。みんなで頑張ったのに、私の不手際でブログが読みにくいのでは合わす顔がない。それでせっせと修復しています。

昨日は一冊だけ済ませた。あと4冊。期限はあと9日。できるかなあ~


初めはタイトルに続いて、

器用貧乏村宝、隣のほっこに使われる」という讃岐の諺を言うつもりでした。器用な人はついできない人の用事を引き受けて重宝されるという意味でしょうか。

でも器用ではなく、宝でもない私です。でもどちらかの岐路に立ったら、するほうを選ぶことが多いかな。その方が楽しいので。

この「ほっこ」というのは、讃岐の方言で馬鹿の意味で、古語の「おこ」から来ていると何かで読んだ記憶が。もしかしたらテレビ番組「探偵ナイトスクープ」から生まれた民間言語学の名著「日本全国あほバカ分布考」だったかも。

おこは源氏物語にも用例があるそうで。

をこなりの意味 - 古文辞書 - Weblio古語辞典

すんごい、源氏物語の雅な言葉を受け継ぐ讃岐人。ほっこはさらにバージョンアップして排泄物を頭につけてク〇ボッコという言い方もします。

激しく人を叱責するときなどに。今は使われてないかも。

「おこ」は消えたけど、「おこがましい」の中に残っているし、尾籠の語源だそうです。いやはや、言葉って面白い。

明日もブログの修復頑張ります。

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ちょっと必要があって・・・

2025-04-05 | 日記

写真がうまく取り込めなくてブログ経由です。用事が終われば削除します。

お見苦しくてすみません。

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縮景園、比治山へ花見に

2025-04-04 | お出かけ

4/2 縮景園。市内中心部にある大名庭園。

好天。65歳以上は入園無料。

源平枝垂花桃・・・とか言う名前だった。一株に様々な色。

 

利休梅

 

三椏。和紙の原料。

回遊式庭園。

京橋川と新幹線。

公園は汽水域の太田川支流から取水する。チヌと鯉が一緒に泳ぐ。フナムシも生息。

馬酔木。


利休梅。姑の遺した花。

清楚。

連翹。姑の鉢植より。

お茶花の好きな姑でした。


4/3 午後から仕事は休み。花見に行くことになっていたそうで、知らんかった~

段原イオンに車入れてすぐ目の前の公園で。

東屋に先客2グループあり。端に座らせてもらう。

必殺総菜弁当。

山に登るに屋外のエスカレーターあり。

近未来的。

陸軍墓地へ。

花の下に兵士は眠る。

広島は戦前は軍港があった。遺骨を埋葬したのかどうかは私は未確認ですが、山中にあった墓標を出身県別にまとめている。

以前は木口小平の表示があったけれど、なくなっている。軍国主義を称揚すると批判されたのかも。

誰?それ?という人が、今は殆どでしょう。

見晴らしのいい岡の突端に墓地はあります。外国人兵士の墓もあります。

星印は陸軍被服廠の倉庫群。躯体が頑丈で爆風にも耐え、戦後は民間に払い下げられ、今は日通出汐倉庫となっています。

原爆投下時は救護所として多くの被爆者が収容され、近年、被爆建物として保存が決まった。

被服廠の跡地は広大で、今は高校2つ、放送局、老健施設などになっています。

軍需都市広島の面影が今も市内のあちこちに残ります。

黄金山など。

いきなり写真撮られる。写真には年齢が写る。いやはや。

慰霊碑。

対馬丸乗船児童も慰霊。国内何か所かにあるそうですが、広島が最北端とのこと。

沖縄には対馬丸の記念館もあります。

7/26 沖縄最終日もいいお天気 - ブログ

ヤマザクラは葉もきれい。

帰ります。

正岡子規の句碑。放射能影響研究所(放影研)下の広場入口にあります。

日露戦争の従軍記者として広島の宇品港から乗船。

鶯の口の先なり三萬戸。出航は春だったのでしょう。

市内中心部を見る。川は京橋川。

ビル群の向こうに己斐の山々。

今年は花が咲いてから気温が低く、雨もほとんどないので長く楽しめそうです。

用事は山積していながら、何はともあれ桜を見る。

このあと夫は買い物に。私は電車で帰宅。よく歩きました。

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