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「光る君へ」に於ける添い寝問題

2024-07-21 | 断想

先日のこの場面、場所の設定はどこ?と少し引っかかっていましたが、

こちらによると

考察『光る君へ』 | クロワッサン オンライン (croissant-online.jp)

物置ではないかとの考察。

なるほど。以前、友人さわと参篭したときの寝所は女性ばかりの大部屋だった。(そんなところへ忍んでいく道綱・・・あとどうするつもりだったのか。いやはや)

逢瀬の場所として、物置なら分からなくもないですが、向こう側が素通しで几帳から光が差し込んでいる。暗くては表情が分からないので、もしかしたら演出上の都合?

物置なので当然二人分の寝具はない。上の写真だと、下に道長の狩衣を敷き、私の記憶だと上にまひろの袿を掛けている。

よほど切羽詰まっていたんでしょう。

「それなら授かったのは2月でございますね」(byいと(まひろの弟の乳母にして今はまひろ家の侍女)

物置のフローリングの上に着ているもので身を包み・・・切迫感もどれほどかと。


でもねぇ、そんなに好き同士なら、今までに、いえ今からでも寄り添って生きることを考えたらどうかなと、今回は思ってしまった。

人の一生は短い。次はいつ会えるか分からないのにこれはもどかしすぎる。愛人でも何でも、立場はどうであれ、心の中では一番の場所にいる。それを目指す。そして政をする人を支える。

今の感覚で妾(しょう)は耐えられないというのも分からなくはないけれど、この時代の結婚制度ならあり得ない話ではないし。

で、物語ではこの時の子供、後の大弐三位ですが、一説には道隆の次男との間に子供をもうけていることになってる?

藤原賢子(大弐三位)の系図 (fc2.com)

一つの説らしいけど、今回のドラマと照らし合わせるとびっくりです。知らないとはいえ、祖母の仇の息子と結婚している?

そのあたりの整合性はどうなるんでしょか。

恋愛は障害が多いほど盛り上がるのは鉄則。それで盛り上がるんでしょうが、ここまで拒絶して本当に好きなのかなと思ってしまった。私なら今の夫と別れて、道長の思い人になるかな。どこかにひっそりと小綺麗な家をあてがわれ、来ない時は自分の趣味を楽しむ暮らし。いいなあ。本妻さんその他に嫉妬はするかもしれないけど、何しろ自分がいちばん思われているんです。

いい着物着て、美味しいもの食べて、たまには気晴らしに嵐山付近へ出かけたり・・・いいなあ。


先週はまひろの子供と定子の子供と、新生児を二人も見た。さすが大河ドラマ。そこらあたりも手抜きはありません。生後一月は経っていないと見えます。その圧倒的な存在感に感動した。赤ちゃん、抱きたくなった。

やはりこれは女性の見る大河ドラマですね。

で、添い寝の件ですが、石山寺のXに「寺で添い寝しないように」との投稿があったそうです。私は未確認ですが。まさか真似する人もいないでしょうが、宗教施設でそれは行けませんね。


昨日は午前中、会場当番。来た人、息子一家4人、地元の友達1人、織の友達と先生二人連れ。みんなに一度に出会えてよかった。地元友達は絽の着物で来てくれた。若い時のに見えたけど、着物なので全然違和感なかった。

着物なんて気にせずに着てしまえばいいんです。

一帝二后、やってしまえばいいという安倍晴明の真似ですが。

その他に工芸出品者の奥様と長話。会の偉い人と長話。これからの作品作成についてのアドバイス。もう一人の人からは組織の仕組みを教えられた。

今は私は一兵卒。その上に会友、会員、評議員、理事とあるらしい。

会員を長く務めると審査会の見学があり、評議員になれば審査に参加とか聞かされた。

しかし、出品し続けるのも大変で、会友に推挙されるとやめる人もいるらしい。

作品は人に見られて作品として生きてくる。後の世に残るものはほぼ皆無。しかし無名の無数の作家によって時代を貫く大きな流れが作られるのでしょう。組織を続けるのはなににせよ大変なことです。

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「光る君へ」におけるスマホの充電器

2024-07-16 | 断想

二週間ぶりの大河ドラマ。

石山寺で再会してお互いの気持ちを確認。

場所は宿坊の一室みたいなところ?

寝てる場所、そう広くなさそうです。

枕元遠くの・・・ん?・・・紐?

装束かなんかの紐なんでしょうが、私は一瞬、二人のスマホの充電器に見えた。充電器も絡み合っている~♡

旅先の宿でスマホ充電するのはよくあること。そして、充電器は差したまま忘れて帰る。これもままあること。

お二人様、盛り上がるのはいいけれど、一夜の仮の宿でくれぐれも忘れ物しないように。と思った私でした。忘れ物から足が付くことも。それでホテルなどは忘れ物の連絡は一切しないそうです。自分から聞くと教えてくれる。


昨日は午後から搬入、展示準備、懇親会がありました。

本日も開会式の後、作品の講評、茶話会。そのあと友達と会う予定でほぼ一日出ずっぱりです。

中国新聞の取材も受けましたが、記事にはならないと思います。記者さんは工芸のほぼ全員と話をしていました。新聞社の主催事業なので力が入っているのかなあと思います。

まだまだ未熟な私。年齢と競争しながら、いつまでできるでしょうか。

昨日午前中、息子来る。昔、兄弟で書いていた漫画のノートが必要だそうで。その他に屋上菜園の草抜きするつもりだったらしいけど、草はそんなに生えてなかった。

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今年の反省を少しずつ、楽しいことは先にしかない

2021-11-09 | 断想

山の中の癒し宿、阿讃琴南、昨年。


今年もあと2月足らずになりました。反省には早いけど、し残したことを思い出して、今年の最後の仕上げ。

今年は長くお付き合いた人と私の方から卒業させてもらったり、また新たな出会いがあったり、人間関係も少しずつ変わっていきました。

60代からも臆せずにいろいろな場面に出て行って、もっと友達作ればよかったなと残念な気持ちですが、過ぎたことは仕方ありません。

体を動かすのは不器

 

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秋祭りのころ

2021-11-03 | 断想

少し前、キンモクセイが香っていました。昔は10月初めに咲いていたように思う。

昔はどこにいても濃厚な匂いが漂い、その頃に秋祭り。

今でも、私の中ではキンモクセイは秋祭りの香り。

お祭りに何食べていたかなあ・・・

お膳はバラ寿司(ちらし寿司)、豆腐の味噌汁、醤油豆(乾燥したソラマメを焙烙で炒ってたれに浸ける)、てっぱい(ダイコン、ニンジン、フナまたはしめ鯖の酢味噌あえ、ネギと唐辛子でトッピング)、揚げ物各種(衣に赤、緑の食用色素を豪華に混ぜる)、魚(我が家では刺身のことが多かった)。

食べ終わると「うどんは別腹」と、大なます皿に湯ダメのうどんを勧められる。そばちょこでなくてうどんちょこは同じ柄の大振り、丸い底のもの。以前は骨董市でたまに見ていたけど、最近はそれもない。

昔の農村、お酒はわざわざ買わずに甘酒を手作り。

お土産は一升瓶に詰めて。紅白のかまぼこは定番。我が家では海苔巻きでなく、赤飯、またはバラ寿司だったかも。

この本からお借りしました。

寿司桶は巨大。ベビーバスくらい。一斗くらい作る。

実際、ベビーバスとしても利用していたかも。洗うから大丈夫。昔はそうでしたよね。

なます皿、私の持っているものはこんな感じです。以前上下町で買った。私はちらし寿司に使う。

うどん入れるのはもっと大きかった。もうどこにもない、あったとしても高価な幻の器。


お祭りの楽しみは、親戚の人が大勢来てごちそうを食べて、大人がくつろいで幸せそうなら子供も幸せ。

お小遣い貰って親戚の子と神社へ行く。露店で買い物。小さなおもちゃ、写し絵、ちょっとした食べ物。いまだフリマが好きなのは雰囲気が似ているから?

当時は平日がお祭りで、小学校は5つの町内が校区。自分の町がお祭りの子は、先生が授業の一時間を早引きさせてくれていた。嬉しそうに帰る友達。次は私の番とワクワク待ち遠しい。

お祭りの一週間前くらいから、獅子舞が門付けして回る。甲高い鐘の音が遠くからでもよく聞こえる。それを聞くと気もそぞろ。

獅子舞は二人で。胴の布は武者絵など、絵羽になっていて豪華。獅子は動きが大きく、迫力満点。

キョウクチと呼ばれる唐子に扮した子供二人が、獅子の前で挑発するように踊る。小学校低学年の男の子が選ばれる。これは大変に名誉なことで、獅子舞の一週間は学校も公休扱い。みんなとても羨ましがっていた。学業よりお祭り優先。

しみじみとゆっくりした時代でしたね。

獅子もキョウクチも、秋の初めからけいこ。夜、農家の納屋にむしろを敷いて。

熱気がありましたね。広島県の農山村部には神楽があるけれど、あんな感じでしょうか。

リンク付けておきます。よかったらご覧ください。

2019.5.26「舞」讃岐の伝統 三木町 二條獅子連 - YouTube

現存獅子組800組!独自の進化を遂げた獅子舞の王国へ | 高松観光 | エクスペリエンス高松 (art-takamatsu.com)

獅子舞研究の達人に聴く!さぬき市の獅子舞のヒ・ミ・ツ: さぬき市再発見ラジオ あそびの達人 (seesaa.net)

昭和40年代、NHKの番組で北海道の獅子舞が香川県そっくり。入植した人達の集落だったそうで。また東京にも香川の獅子舞の同好会がある模様。

胴の部分の布は油単と言うらしい。二人で入り、広くて長くて動きが複雑、それがよその土地とは違うようです。実母は自分の実家地方の獅子頭がとても大きくて、それが自慢でした。それは実用と言うよりは飾り。今もあるのかなあ。。。。


家にいてじっととしているので、気持ちがどんどん昔にワープする私。

獅子舞は我が実家地方では一時廃れていましたが、この10年くらいで昔を知る人が中心に復活したらしい。

とは言え、鉦を打ち鳴らしての一週間の門付けは、都市化してうるさいとか言われそう。子供の公休扱いも無理でしょう。

しかし形を変えてでも文化として残ってほしいものです。


大獅子、ほんとにあった。

冠櫻神社の大獅子|高松市 (city.takamatsu.kagawa.jp)

もうお、びっくり。

 

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家を継ぐ・・・友達の場合

2021-10-22 | 断想

今年も柿の季節。3年前、描く。


彼女とは一年間、とても仲良しだった。同じクラスで出席番号も近く、家もまあまあ近く、一年生の時は同じサークルだった。

学校ではいつも一緒、放課後も勉強する名目で教室に残っておしゃべり、下校も途中まで一緒、たまにはうどん屋へ寄ったり、ソフトクリーム食べたり、県庁のピロティや屋上の喫茶室で長話したり。

何を話していたかって。

他愛ないことです。女の子、男の子、若い先生のうわさ話、それから中学時代のこと、お互いの家族のこと。よくもあんなに話ができていたと、呆れるばかり。

違っていたのは彼女はすらりと背が高くて辺りを払う美人、私はすらりと背が高くなくて容姿は並み、何で仲良くなったかと言うと、彼女は新しいクラスで友達作り損ねて、フリーだった私に声かけてくれたとのこと。

私は昔も今も一人でも平気なので、そういう発想がなかったけど、確かにクラスに一人は親しい人がいた方が何かと便利。そして結局は楽しい。楽しい一年間だった。


私の通った高校は一学年千人近いマンモス校。第一次ベビーブーム世代。旧制女学校時代からの三階の校舎の上に継ぎ足して急遽四階建てに。高い建物のない時代、その四階の教室から北を見ると、海と本土と行き来する船がたくさん見えていた。

美人の常として、周りに男の子がわらわらと寄ってくる。中にはスペック高い子も。修学旅行ではいっぱい写真撮ってもらった。友達が目当てだけど、私も写り込んでいるという。。。あの時の男の子たち、どうもすみませんでした。

Q君は、最初は彼女の男友達の一人だったかな。いつの間にか私とも話をするようになり、学年の後半では結構気が合ってよく話をした。その頃の彼女はステディな彼氏がいて、一緒によく下校していたから、今思えば私と下校していたのは前半だったかもしれない。

高校生のデート、ささやかなものです。一緒に帰るのがせいぜい。私も雨の日は電車で通学していたので、バス通学のQ君とバス停まで歩いて帰ったこともあるけど、うーーーむ、詳細は失念。

それより、教室で、自分が書いたエッセィなど見せてもらった。小説も、短編だけど書いていたらしい。そんな話をしているととても大人になった気がした。


楽しい時期は長くは続かない。最終学年では進路別にクラス分けがあり、彼女は家業を継ぐ立場だったのでお父さんから県外の進学はまかりならん、婿を取って家を継ぐべしと言明されていて、就職クラスに。

Q君は理系に、数学、物理との相性が極めて悪い私は文系に。最後のころはQ君に数学をたまに教えてもらった。とても頭のいい人だった。何でもスッキリとわかるらしいのがうらやましかった。

友達はとても進学したそうだった。県内の短大でもいいから行きたいと、クラス分けが決まった後で変更したいと先生に言いに行ったけれど、結局は就職クラスになった。

私はQ君とたまに手紙をやり取りしたり、校内で会うとちょっと話したりという緩やかな関係。同級生の中には二人で相談して、東京なら東京、京都なら京都と同じ場所へ進学する人もいたけれど、私はそこまでの仲ではなく、いろいろな事情で今の地に。Q君は東京のさる大学に現役合格して、進学後も、帰省の時は会ったりする関係が続いていた。

地元銀行に就職した友達に、Q君と付き合っていると話のついでに軽い気持ちで言ったら、その後、その友達から会わないかと誘われたとQ君の話。

私はああそう、という感じ。その頃は、進学した私と地元にいる友達、次第に話が合わなくなっていた。Q君は一度会ったと後で話してくれた。やはりああそう、という感じ。


私は高をくくっていた。流れが逆に向くことはないというのが一つ、それと彼女の立場。婿を取って、その人に自分の姓を名乗ってもらって、家業を継いでもらう。初めは親の見習い。相手への要求がめちゃくちゃ高い。

私は男の兄弟がいるし、先祖から受け継いだのは広い農地だけ、親はその頃会社勤めもしていたけれど、大変に身軽。どこへでも嫁に行ける。

若いのでそこまで意識していたわけではないけれど、Q君は友達の相手としては不適格だったのでしよう。結局彼は大手企業の偉い人になって定年まで勤めあげ(これはまた聞きとネット検索)、都会の人になっているらしい。きっと元気で生きているはず。


最近、皇族の結婚から始まって、庶民でも家を継ぐってどういうことかなと考える機会が多くなった。友達は、高校の時から男友達からの手紙は父親が開封して中身を読み、娘が恋愛していないか監視していた。と聞かされた。

それは家業を続けるために。娘の人生よりは続いてきた家が大切。そう考えるお父さんだった。どう考えても人権侵害。でもそういうことがまかり通る時代でもあった。

結局、彼女は勤め先で条件に合う人に出会い、早々と結婚し、子供に恵まれ、仕事も広げ、ご両親も見送って・・・と言う顛末を前の同窓会で再会して聞かされた。

仲良くしてもらって有難うと私はお礼を言ったけれど、次に少人数で会うからと誘った時には彼女はとうとう来なかった。彼女なりに何か鬱屈するものがあったのかもしれない。

きょう電車に乗ってぼんやりそのことを思い出すうち、もし立場が逆だったらどうしたかなあとふと思った。

私が好きな人をあきらめて、家を継いでくれる人と一緒になり、友達が自由に生きているのを見る立場なら。

Q君を呼び出して会った彼女。大学の話を聞かされたと後で私に話してくれた。ありがとう。でも彼女の立場でそれ以上の仲には進めなかったのでしょう。彼女には親も家業も大切と言う長女の責任感があり、誰とでも付き合ってその人と結婚して地元を離れるというわけにはいかなかったのでしょう。

辛かっただろうなと、50年も経ってやっとそのことに気が付く私。若い時はそのことに気が付かず、休みに帰って会っても大学の話を無邪気にして、相手がどう思うかにまで気が回らなかった。ごめんなさい。

それでも付き合ってくれていた彼女の気持ちを思って、ちょっと泣けてきた。最近涙腺が緩んでばかり。


男も女も家を継ぐというのは辛い。分けても辛いのは、女ばかりの長女の場合。私たちが若いころはまだ姓を変えて養子に来てもらうという感覚。

家を継ぐという感覚がなくなった今は、男も女も生きやすくはなったと思う。それは社会の大半の人が勤め人になったことと対をなしているのかな。

名字を継いで親を見送って墓を守って。それがもはや形骸化した「家」の最後の機能。それもまたやがて解体していくのかもしれない。社会の変化に合わせて。

社会の流れに逆らえる人は稀。流れの中でいかに自分らしく生きるか、それがまあ順当かと思われます。結局は個人の幸せではないでしょうか。幸せになるために人は生まれ、幸せになるために泣いたり笑ったりしながら生きていくのではないでしようか。

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皇室関係、もひとつリンク

2021-10-21 | 断想

落ち葉いろいろ。二年前に描く。


「なぜそこまで怒り続けるのか」"眞子さま結婚肯定派"の私がネットに抱いた深い失望 最後まで溝が埋まらない本当の理由 | PRESIDENT Online(プレジデントオンライン)

皇室が好きか嫌いかどちらでもないか、これは個人の感覚の問題。

しかし私の周りの好きだと表明する人は、考えが古く、物事を杓子定規に考える人が多いように思います。

また日本の近現代史にもほとんど無知、分かりやすい、テレビや週刊誌の見出しなどの言説になびく傾向があるように思います。

上のリンクの中で、結局は自分のアイデンティティを「皇族」という遠い他人に預けられるかどうかの違いとありました。

はたと膝を打つ。全くその通り。好きな人はその価値にあやかりたいと思っているのでしょう。

私ですか?

制度の中の人たちには、好き嫌いの感情は持っていません。だって、直接知らない人だもの。好き嫌いの感情の持ちようがありません。

中の人、特に女性が批判されるのは昔からよくないと思っていました。批判はすべて男性目線。昭和天皇の植えた木を切らせたと言われた人、男の子を産めと追い詰められた人、「いかがわしい人との」結婚に口出しされ批判された人。

この国の人権意識がこの程度かととても残念に思って来ました。

私の嫌いなのは制度を持ち上げて、自分は偉いと錯覚して、敬わない人間を責める人。敬う心を利用して、自分の考えを押し付けたり、商売に利用する人。

私の祖母は息子が戦死したので、「産めよ増やせよ、みんな天皇陛下の子や言うてもオシメの一枚もくれずに、大きくなったら戦争にとって殺した」と心底恨んでいました。

軍部に利用されただけ・・・戦後ずっとその説がまかり通ってきました。これはまた話が広がってしまうけれど、昭和40年代終わり、アメリカ訪問前の記者会見のことを私はよく覚えています。

中国新聞の記者の、(原爆被害者をどう思うかという趣旨の質問だったと思うのですがの)問いに、気の毒だったけれど戦争中のことで仕方なかった。私はそういう方面は研究していないのでわかりませんという答えだったと思います。

政治的発言を避ける、戦争責任に言及しないための慎重な言い回しだったと思いますが、戦後の天皇制の断面が見えた一瞬でした。

制度は形を変えて生き残る。しかし、軍国主義教育で大きくなり、建物疎開中に死んだ10代の子供たちはあの時、もう一度死んだと思いました。もう少し言い方変えると慰められた人もいたでしょうが、あれでは全然救いようがない。

私が感じたのは深い空しさでした。何かを信じ、それに入れ上げるのはやめよう。その思いを深くしました。

あなたが好きなのは止めません。しかし、好意は一方的。制度が残って行くためなら、それに応えてもらえないばかりか初めから無視されることもあります。そのことに早く気が付いてください。一庶民なんて、それだけの存在です。


無条件降伏を内容としたポツダム宣言の受諾がなぜ遅れたか。

それは国体の護持にこだわったからではないですか。天皇制がなくなる・・・それは当時の為政者にとって思っても見ない状況だったのでしょう。

もたもたするうちにヒロシマ、ソ連の参戦、ナガサキがあり、死ななくてもいい人がたくさん死にました。

ポツダム宣言の国体条項の英文をどう解釈するか、外務省と軍部でのやり取り・・・なんかの本で読んだ気もするけど、ばあちゃんの記憶は茫々と。何の本だったかなあ・・・

今朝は、祖母の嘆きの声を思い出して、また涙が出た。男の子三人を産んで育てた私は若い男の子が死ぬ話が本当に嫌い。それが私の天皇制の原体験です。

 

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男系の危機、我が家の場合

2021-10-15 | 断想

人様のお宅の心配している場合ではない。

我が家の男系も先細り。

系図書いてみました。

赤丸が夫です。分家した夫の祖母以外の女性は省略、男性のみです。

夫の系統は大正の初めころ?夫の祖母(一人娘)が養子を取って地主の家を継いだところから始まります。

養子は曽祖父と番頭さんで吟味、九州から若い医師を婿として迎え、長男もできたころに祖母にはうんと年の離れた弟ができます。この人は後妻の子供です。

男子なので家督を継ぎ、祖母一家は敷地内に家を建てて分家します。

祖母には三人の男子があり、次男が夫の父親、我が舅様です。

分家したとはいえ、裕福な暮らしだったらしく、子供には一人づつ、小作人の家から子守りが来ていたとのこと。子守りをしながら行儀作法も習うのでしょうか。祖母は何でもできる人だったので、縫物なども教えていたはず。ぼんやりしていては大家の奥様は務まりません。

太宰の「津軽」の世界ですね。

しかしながら養子に来た夫の祖父はわずか40代でなくなります。働きすぎて腎不全になったと聞きました。田舎のことで医師が少なく、とても忙しくて体を壊したと聞きました。今のように透析もなく、最後は「モヒ(モルヒネ)打ってくれ」と言いながら亡くなったとか。

18歳で医師になり、40代でなくなる。生き急いだ人生でしたね。写真見ると髭を蓄えて老成した風貌。昔の人は早くに大人になっていたのでしょう。

その時我が舅様は高校生で、遺言で「お前は医者になれ」と言われたそうです。その後、某帝大の医学部に進み、学費は夫から言うと曽祖父が出してくれたそうですが、長い休みが終わる時に本家に挨拶に行き、次の休みまでのお金をもらう。遠慮して最低限しか言わないのに、それよりまだ少なくしかもらえなかったと生前話していました。

父親がなくて、たとえ身内でも人に頭を下げて学費をもらうのがどんなに辛いことか、息子たちが勉強しない時には私も腹が立って、この話をしたのですが、親がいて当たり前、親が学費出してくれて当たり前の息子たちには全然伝わりませんでした。

えー男系の話でしたね。

夫の親世代は本家分家併せて4人の男子。全員結婚して、全員男の子に恵まれます。

夫の世代では倍増して8人の男子。

しかし結婚したのは半分の4人。そのうち男子が生まれたのは2人。女の子だけが1人、子供がいないのが1人。未婚が半分の4人。成人する前の死亡は原爆死に水死です。

さらに息子の世代になると、男の子は半減して4人。

そのうち未婚2人、子供なし1人、男の子がいるのは我が長男だけ。その子は7歳。家制度はなくなりましたが、◎◎という姓を継ぐのは(たぶん、結婚相手の姓を名乗らない限り)その子だけになりそうな予感。

しかも7歳の孫、4歳のころ、「**クンは下品なこと言って嫌われているから結婚できない」と申していました。その頃、何にでも「うんち」を付けて大人が嫌がるのを面白がっていたのです。

「大丈夫よ。まだ間があるからそれまでに直せばいいのよ」と言う祖母。

こうして略系図を書いてみると、男系を続けるのが一庶民の家でも難しくなっているのかなと思います。

もちろん嫁いだ女性もたくさん、そちらの子孫もいるので、女系で書いてみれば賑やかなはず。今度機会のある時に。


簡単なファミリーヒストリーみたいになりましたが、私の実家は純粋庶民、結婚してから聞かされる夫の本家筋の昔話には驚くことばかりでした。

年貢を持って来る日には小作人は全員座敷に上げて、酒食のもてなしをする。

用心が悪いので駐在所を屋敷のすぐ外に誘致する。

地主としての経営は有能な番頭に任せ、特定郵便局を始める。

お金出して橋を作る。

陸軍大演習で何とかの宮(竹田宮でないことを願う)の休憩所になった時に、事前に手洗いを新設。

流しの絵描きや琴の教師などが半年くらい滞在する。その間にふすまや掛け軸の絵を描いてもらったり、夫の祖母は娘時代、そうして琴を習ったそうです。

まだまだたくさんありますが、自慢話になりそうなので止めておきます。

私が嫁いだ1970年代は地主制度がなくなってまだ25年くらいしかたっていません。四国の小作人の娘と思われていたのかも。我が家の相手にふさわしくないと思われていたのかも(戦前は自小作で2町歩くらい。純粋の小作人ではありませんが、まあそんなことはどちらでもいいけど)。

いまだ未婚の夫と同世代の人は、親が家柄に釣り合う相手を探すうちに結婚しそびれたとのこと。

釣り合うとは何?

本人同士、この人と思うのが、いちばん釣り合っているのでは。そうしないと家系はどんどん先細り。

皇族の結婚でその原則を改めて思った私でした。

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天皇制と家制度

2021-10-14 | 断想

眞子さま結婚問題に下重暁子氏「崩壊した『家制度』を皇族にだけ求める愚かさ」|NEWSポストセブン (news-postseven.com)

短いけれど、大変分かりやすいインタビューでした。納得。

私の違和感はいまだ家制度を残していることに。いえ、一部の国民が家制度を続けるよう望んでいることに。

すぐにはなくならないでしょうが、人権については最大限配慮してもらいたいもの。

不敬罪のなくなった今、名誉棄損は政府が代わって告発するそうですが、これも運用は難しい。としたら、とりあえず、毎日の暮らしの中で、ご本人たちがあまり拘束を感じないやり方なら、工夫次第で何とかできそうですが。

先日の女子会でいちばん雰囲気悪くなったのは、自称旧皇族の某タレントをほめそやす人がいて、私が反対の考えを言ったから。

彼女はどこかで・・・テレビかな・・・で見てその分かりやすい話に共感したらしい。

私もいつか見たことがある。

司会者に「また皇族に戻ってほしいと言われたらどうしますか」と聞かれて、嬉しそうに「お断りします」と言っていたので、元は皇族とばかり思っていた。明治天皇の玄孫と言うことだし。それも男系と早とちりしていました。

あの人、元は皇族の家の生まれだけど、民間人になってから生まれたので、元皇族と言うのは厳密には違うようです。そんなこと人の価値を決める材料にならないけど、ご本人が訂正しないのはわざと勘違いしてほしいからかなと思い、あえてここにも書いておきます。

明治天皇の皇女が、南北朝時代に天皇家から分かれた家に嫁いだその子孫のようですよ。男系を辿るなら、ものすごく縁は薄い。

その話を友達に言うと、知らなかったのでしょう、ふーーんと言う顔をしていました。自分がいいと思うものに賛同してくれず、不本意だったのでしょう。

例え南北朝時代に枝分かれしたとはいえ、天皇の血筋が誇りなのでしょう。どんなことにでも誇りを持ち、それに相応しい人間になろうと努力するのはとてもいいことと思いますが、その誤解されたままの肩書で世間に何かを語るのは、有難がる人もたくさんいるので慎重にと願いたいものです。

この二、三日、この衰えつつある頭でつらつら考えたことは、天皇制はすぐにはなくならない、なくせないだろうということ。

この先、76年前の敗戦のように、日本社会が大きく変わる時にはまたその機会もあるかもしれない。全くなくせない制度ではないというところに希望をつなぎましょう。

直接の知り合いではないので、私は好きでも嫌いでもないのですが、好きな人もいることでしょう。災害地へ首相が行っても年寄りは涙流さないのに、もはや信仰の領域。信仰をどうこう言うのは難しいのです。

続いて行くとしたら、私はとりあえず女系を取り入れ、そのあとは男女で生まれた順にでいいと思います。

男系にこだわり、どんな人がいるのか知りませんが、調べる気もないけど、明治天皇には大正天皇しか男児がいなかったらしいので、遡るとどんなに近く見積もっても江戸後期以前でしょうか。

その人を呼び出して天皇に据えるよりは、血縁関係の近い、今いる女性皇族が結婚して繋いでいく方が自然だと思います。

y染色体にこだわっても、昔々に別れた後、膨大な人がそれを受け継いでいるはず。

民間では、女の子ばかりの家では養子に来てもらい(いえ、名字を受け継いだ別の戸籍を作り)、商売や会社、継いでいますよね。そして子供につないでいく。

いやいや、どうしても男系でないといけない。そう言われて、会ったこともない遠い遠い縁のほぼ他人が、いきなりやってきて、あなたたちは女系でY染色体がつながってないのでこの家出て行ってとはならない。

全然知らない他人が身内と言われ、きょうからここを継ぐと言われても・・・私が親ならなら困るし、拒否しますね。

男系天皇に固執するのもこれと似たようなものでしょうか。違うかな。あるお宅だけ、女性ゆえに一段劣った扱いをされ、女性ゆえに自分や子供まで継ぐ資格がないと言われるのもおかしな話と私は思います。

こういうことは男女に関係なく、血縁の濃さと思いますが。

有識者会議が、時代にふさわしいいい結論を出してくれると期待しています。

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Y染色体と姦通罪

2021-10-13 | 断想

小室圭氏のことについてはこちらのブログから多くの気付きをいただきました。

小室さんバッシング、私の考え - 緑陰茶話   - みどりさんのシニアライフ - (goo.ne.jp)

私は女性の方の人権が気になっていましたが、男性方も同じだけ、それ以上に人権を侵害されている。そのことに気が付きました。そしてうまくまとめていただいているので、考えに筋道が立ちました。ありがとうございます。

非難する人は、自分でサイトなりブログを作って言えばまだましですが、ヤフーニュースその他に匿名で短いコメント付けるだけで、発言の責任は取らない。こんなのは意見とも言えないのですが、言われる当人は気になりますよね。

見ないに限ります。理不尽な相手、世界観の違う相手とは戦わない。無視するのが最大の防御。そして防御は最大の攻撃なり。

昨日アマゾンで本を探している時に、今回の騒動に関しても本がいろいろ出ていることを知りました。粗製乱造の際物がほとんどのようですが、ある本のカスタマーレビューに神武天皇から続くY染色体を他の男性のものに替えていいのかとあり、なるほど男系にこだわる人はそう考えるのだと気が付きました。

この本のキャッチコピーは「民間男性が陛下に!?こんなに危ない女性宮家」と言うもので、暗に小室圭氏を皇室に入れるなと扇動しているものだと思いました。

これはもしそうだとしたら言いがかりです。今の法律で結婚した女性は民間人になり、皇位継承には一切関係しない。法律でよしんば女性宮家を作るとしても今回の結婚にさかのぼっては当てはまらない。法律とはそういうものと私は理解しています。

ネット上ではそのことを知らないのか、知ってての確信犯なのか、小室圭氏を皇室に入れるなと騒いでいます。

大丈夫ですよ。

女性宮家が認められても配偶者がいきなり天皇になるわけではない、その子供に皇位が継承されていくだけで。法律はそのように変わると思います。それの何が問題なのでしょうか。なぜ男系でなければいけないのか・・・Y染色体でなければいけないのか。私には解けない謎です。誰か答えられる人がいるのでしょうか。続いているからえらいのだというのは答えになってませんね。

と、これは一般論。早く決めないと今皇室にいる未婚の女性の将来も不確定。男系にこだわると今いる10代の男の子にすべてを託すことになる。継続のためにははなはだ危ない。

その時になって、もちろん法律も換える必要がありますが、何代か前の男系を辿ってその子孫にいきなり天皇になってもらうことに果たして国民的な合意が得られるのか。私には女系天皇より、そちらの方が違和感ありまくり。血縁重視といっても、血縁関係も薄いし。

もちろん昨日まで民間人でも、立派な御殿に住み、きれいな服を着て(たまには古代の衣装も)、おっとりと物を言いゆっくりとした動作をすれば、そしてマスコミがほめそやす報道をすればそれらしくなりそうですが、そんなにしてまで続けていく必要があるのかと私は思います。

今回の女性のことも心配ですが、弟にあたる人のメンタルも気になります。十代のいちばん多感な時期に、自分がどういう立場か分かってきて、お姉ちゃんの騒動も見て、何を考えるのでしょうか。

男系にこだわるのは、男性が女性より偉い、そういう世の中をこれからも続けていきたいと考えるからでしょうか。女性宮家を作るとして、その次の世代の皇位継承はやはり男性だけなのか、女性も混ぜて生まれた順なのか。そこらあたりもどうするのでしょうか。女性に皇統をつなぐとしたら、男女の区別はなくさないと話のつじつまが合わないように思います。

戦前の皇室は皇后以外の女性がいました。これは男の子が生まれる可能性を求めてのことだったのでしょう。明治天皇も大正天皇も正室から生まれたのではないのです。男の子を得るためには複数の女性の存在を認める。そうやって男系を続けていく。

上がそうだから、民間でも裕福な家はお妾さんがよくありました。で、男性には婚外の付き合いが認められても、女性にだけ姦通罪があるのは、他の男性の血が混ざらないようにするためと、はたと気が付きました。

男系にこだわる天皇制と、女性の姦通罪は対をなしている。昔の大奥も女性は代替わりまで閉じ込められる。これもまた他の血が混じらないように。

皇室にお妾制度がなくなったのはいつからでしょうか。そこらあたりは触れてはいけないことでしょうが、この百年ばかりはそれがなくても男子が複数生まれてしのいできました。また戦後の民法で家制度はなくなり、結婚して新しい家族ができ、子供たちも独立して、親世代が死に絶えるとその家も消滅すると法律的にはなったので、あちらのお宅でもお妾制度もそれに合わせて自然消滅したのかと思います。

しかし、皇室は日本で唯一、法律的に、世代を超えて家が残っていく存在。男系をこれからも続けるなら、嫁いだ女性は必ず男の子を産まないといけない。国民は一人の女性に過剰な役割を期待しすぎ。

大名家も、将軍家も、天皇家も、続いてきたのは複数の女性がいたから。しかし今からそれを認めるのは国民の感覚から言って果たしてどうでしょうか。私は、何よりも制度の内側の人の人権を守る意味から、この制度はいずれなくなってもいいと思っていますが、続けていくなら男系にこだわるのは無理があるのでは。

皇室に来てもらった元民間人の天皇にまた男の子ができなかったら、また民間から呼び寄せる?大変なことです。それよりは今皇室に入る人達で今の継承順の後には、女性も混ぜて繋いでいく。それでいいのでは。

昔々のその昔、京都だったか奈良の朝廷で、いやもっと前かに皇統が絶えて、8代前にさかのぼる越後の天皇家の筋を探し出して天皇にしたということがあったようですね。その名も携帯天皇。(何という変換だあ・・・)継体天皇です。そこらあたりの経緯はうやむやになっているのかな。興味のある方、調べて教えてください。ホントに、ほんとに男系?

今となっては謎?万世一系って本当?

姦通罪に話を戻すと、ばれなければ婚外性交してもいいはず。炭鉱王と結婚した彼の美人歌人も複数の男性と付き合っている。夫の愛情が乏しく、癒しをほかに求めてのことでしょうが、お妾制度は正妻の気持ちも不安定にしている。

またお妾さんには姦通罪適用していた?

それははやりすぎで片手落ち。男性は自分の子だと思ってもお妾さんを24時間拘束するわけではなく、そう思い込んでいるだけの場合もありそう。奥さんだって。そう、男系ってその程度のものではないでしょうか。

皇室での男系にこだわる限り、この国での女性差別はなくならないと私は思います。夫婦別姓を認めないのも根は同じ。たかが名字のことだけど、家制度がなくなった今では名字を継ぐのが概念として(ファンタジーとしての)家を継ぐことになっている。家制度がなくなっても女性はよその家に入り、嫁として扱われる習俗も続いて行く。

都会で活躍していても、盆正月には夫実家で嫁をする。それで離婚になった例を私は身近に知っています。家制度もほどほどに。

夫婦別姓は選択的ですから、法律で全員がそうなるわけではなく希望者だけ。したくない人はしなくてもいい。それなのに反対するのは脳内に昔からの家制度が残り、日本全国の女は男の下について言うこと聞くべきと言う考えの顕れなのかな。公民館サークルでも、女性会員を自分の嫁か娘のように扱う人がいます。そう言うのにはこまめにたてつくに限ります。

私はもう夫の姓を名乗っているので、今さら変えるのもめんどくさいけど、変えたらものすごく開放感があると思う。夫親族から嫁扱いもされなくなると期待している。もう代が変わったのだから、私の好きなようにさせてもらう。先日夫にそう宣言しました。

好きなことして、好きな所へ行って、好きなもの買って、好きなもの食べて、要するに好きにする。先日夫に宣言。80歳までもう十年もありません。し残したことがないよう、一つずつやっていく。

夫は「今までも好きなことしてきた」と申しますが、まだまだ。動ける間にこの人生を極めます。好きなもの食べるはちょっと控えないといけませんが。

取り留めもない長話、深謝します。

 

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まあすぐにはなくならないでしようが・・・

2021-10-10 | 断想

内に向けては疎外、外に向けては抑圧。何か言うと、長崎市長のようなことがある。

こんな取り扱いの難しいもの、これからも未来永劫続けていくのでしょうか。

国民主権の憲法のもと、制度の存続は国民の総意に基づくもの。国民が要らないと思えばなくなっていくし、どちらでもいい、あった方がいいなら続いて行くでしょう。

しかし今あるそれを盾にして、もの言えない時代に戻してほしくない。また中の人の人権は最大限配慮するべきと思います。

玉川徹氏 眞子さまと小室圭さんの結婚を応援「もっと皇族の方々の自由を認める制度であってほしい」(東スポWeb) - Yahoo!ニュース

三浦瑠麗氏、眞子さま結婚報道に苦言 「心を傷つけられるような一般人コメント誘発」|ニフティニュース (nifty.com)

無責任な、面白半分のコメント、ご本人は気にしていちいち見ていたのでしょうか。面と向かって言われるより、匿名で公表される意見の方に、人はうんと傷つきます。

嫌なものは見ない、聞かない、自分の心を守るにはそうした方がいいと思います。


こういうことは成育歴、若い時に世の中のことをどう考えたか、結婚の経緯などに影響される。先日、友達複数と話していて改めてそう思いました。

価値観はもうこの年では変えようがないので、人さまがいろいろな考えを持っていることがわかったのが収穫と言えば収穫。

その節目節目で、私はまあ好きにしてきたようです。結婚も初めは反対されたけど、言うこと聞かなかったので、その後、どんなことがあっても親に一言も愚痴を言わなかったという自負があります。

もし親の気に入った人と一緒になっても、もちろんいろいろあるはず。その時に後悔しないかと言えば、したかもしれない。あの時自分の思いを貫いていればと。


先日の友達は、私以外はお見合い結婚だそうで、ご実家が、世間でいうところの家柄のいいお金持ちの人が特に、恋愛したかったとしみじみ話していました。

私は以前彼女の家で、「明治天皇はんが遊びに来はった時に使わはった器」と言うものを見せてもらい、お菓子を載せていただきました。

ってこんなこと自慢するのが天皇制の空間ですね。いえいえ、史実が分かって面白がっているだけですが。

明治天皇は東京へ行ってから生活が激変、京都では御殿の外へ出ず地面も踏んだことないと言われてますが、彼女によるとこっそり塀の破れたところから抜け出して公家のお宅へ遊びにに行ってたとか。京都時代の方が自由だったのでしょうか。

今みたいにがんじがらめにしなくてもいいのでは。

そして気に入らない人と結婚するので尊敬できなくなるとか、制度がなくなってしまうと心配し、なくなってもいいのかと言うのは、どうでしょうか。

そんなことですぐになくなるほどやわな制度ではないと思います。良くも悪くも。

それだからこそ、今の時代にふさわしく変えていくことも必要。

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断捨離で尊厳を取り戻す

2021-09-13 | 断想

昨日、BSで断捨離の番組やっていた。普段はほとんど見ない。一度片付けても性格替えない限り、また元の木阿弥と思うので。

ても、今回はどんな風に片付くのか見てみた。

史上最強12部屋! “母の執着”で埋もれた家 | ウチ、“断捨離”しました! | BS朝日 (bs-asahi.co.jp)

両親は元教師、庭付き一軒家は台所と居間以外にたくさんの部屋があり広い。途中から見たのだけど、家にものが多すぎて、台所も調理するスペースがなくて今は近くで部屋を借りているらしい(介護施設に暮らすらしい。お父さんが家に帰りたいという希望)。そこから見た。

どの部屋も、背の高さぐらいに積み重なったものであふれている。姑様の部屋を思い出した。姑様の場合は50㎝くらい。片付けるのは次女、長女は片付けのことで母親と喧嘩して以後、絶交渉だそうで。

お母さん、全部がゴミではないと言い張る。新聞紙などの紙屑の間にも大事な(写真?)があるので捨ててはいけないそうで。人から見たらゴミにしか見えないものも本人には思い入れがある。

教師をしていたのなら教養もあると思うけど、人のことでは正しい判断ができても、自分のことになると、性格+今までの生き方から、娘の言うことを素直に聞いて物を捨てるということができないらしい。

断捨離アドバイザー、友人、業者も入れて1週間で片づける。広くなった部屋の、ゴミの奥から出てきたお父さんお気に入りのソファーに掛けて、みんなでお茶飲んで、お母さんがやっと「ありがとうね」というところで番組終了。

この先もゴミ、ため込まないといいなあと思った。

アドバイザーのやましたひでこさんが、断捨離は個人の尊厳を取り戻すため。と話していた。

しばらく考えたけれど、ゴミだらけの家に住む人は、汚いものでも平気な自堕落な人間と見られがち。という意味かなと思う

人は見た目が大切と言われるけれど、その人の印象は容姿、服装、そして住む家によって左右される。

容姿は親からの貰い物、服装はお金かけていいもの着るのが手っ取り早い。でも片付けは個人の努力でいくらでも出来るし、気持ちすっきりして達成感があるし、努力に対して報われる効果が大きいものだと私は思う。

やましたひでこさんによると、目の前のゴミを見ると意識がそちらに吸い取られてしまい、気持ちがマイナス方向へ行く。そんな話だと思った。

しかしまあ、たとえ親子でも自分のものでないものを片付けるのは大変。

お母さん、詩吟をしていた時のピンクの草履がいるという。出てきたのを見ると、80歳の人が履くには派手過ぎると思うけれど、若くて元気で楽しく活動していた時の思い出の品。捨てたくないのだろうと思った。

15年くらい前、姑様が物置にしていた。住み込み従業員の部屋3つをつなげてオーディオルームを作った。壁を取り払うなどは業者に頼み、内装などは自分で材料買って休みごとに少しずつ整備していた。

その際は、部屋を明け渡したくない姑と夫の間でいろいろあったらしい。置いていたのは古い衣類に布団、古い畳もたくさんあったらしい。私は現場見てませんが。新たに買うとお金がかかるので、いつか使えると取っておいたのでしょう。昔の人はそういう考えしますよね。

捨てるときもだいぶ抵抗したらしい。使えるもの捨てるのは罰が当たるって。夫が勝手に捨てるのでそれまでは姑様も対抗手段で鍵かけていたけれど、とうとう落城。あの時、思い切って捨ててもらってよかったと今では思う。そのあとも、あの部屋のもの、活用することはなかったはず。

あの時はもう大型ごみは有料になっていた。どちらがいくら払ったかは知らない。有料になる前日、南区では**町が集配ということで、夫に言われて、車に積んで公園の傍へ置きに言った記憶がある。その時も抵抗したのかな。私は現場見ていませんけど。

夫の努力の甲斐あって仏壇のある座敷だけは、何とか人を通しても恥ずかしくないくらいに片付いた。他の部屋はまだまだ。

台所、洗面所、トイレ・・・家で介護している時には義妹が一月に一度、施設に入っても面会できるときは2か月に一度来て泊まっていたけど、掃除にまで手が回らなかったらしい。

ドアを引き戸にする話をしていたら、義妹が家の中を変えないで欲しいと言っていたけれど、やがて歩けなくなってそれも不要になった。

今、姑様の家の掃除の責任者は誰?

私でないことは確か。自分の責任でない場所が汚れているのは、気持ちが萎えるけど、見て見ぬふりするしかない。以前、まだ家で介護していて、義妹夫婦が来る前に、あまりに姑様の布団が匂うのでさすがにまずいと思って、布団に消臭剤を掛けたら夫からえらく怒られた。

親の布団は匂わないのでしょうか。消臭剤は気になっても。不思議。姑様の、古い電気毛布持って帰っていたけれど、こちらも同じ匂い。即、捨てました。


おやおや、葬儀関係の記事は昨日で終わるつもりでしたが、最後はまたまた愚痴になったようで、失礼しました。

私もネガティブな思いの周りでぐるぐる回っていては、気持ちが落ち込むばかり。これからは心機一転、前向きに頑張ります。

日曜日の昼、二通目の書留郵便が届く。多分そうだろうと夫に出てもらったらやはり。お線香上げに来たい人から。夫がいいように処理するでしょう。お任せ。

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コロナワクチン、打った方がいいのでは?

2021-07-30 | 断想

と言っても、私にはうまく話を展開する能力がないのでリンク付けときます。

ワクチン陰謀論を煽って金に換えたい人々の思惑(東洋経済オンライン) - Yahoo!ニュース

ワクチンで何人が亡くなったという、週刊誌の見出しを散見しますが、ワクチンのせいでなくなったか、それとも他の原因なのか、はっきりしてもらいたいところです。これだけたくさんの人が接種しているので、悪いものなら、死亡率が有意に上がりそうなものですが。それは隠しているんだと言われそう。隠し通せますか?

ヤフーニュースで、政府に信頼感がない国はワクチンにも信頼感がなく、日本はその信頼度の低い国だそうです。なるほど。今の政府、思いっきり信頼できないですものね。悪いけど。

でも、信頼感とワクチンは別。科学に感情は入れたくないです。

子宮頸がんワクチンも、後遺症が出るということで、今はされてないようです。体がマヒしたという女の子の映像がありました。あの子はその後どうしたのでしょう。続報が待たれます。

早く国民全体のワクチン接種が終わり、また元の暮らしに戻りたいと切望する私でありました。

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コロナワクチンで考えたこと

2021-06-21 | 断想

昨日、第一回目の接種をしていただきました。

場所は近所の大型ホテル、たぶん結婚式する会場らしく、海のよく見える大きな宴会場みたいなところ。

持ち物は接種券とか問診票とか。念のためにお薬手帳持って行ったので、予診のとき説明が要らなくてよかった。書類などすぐ出し入れ出来て床にも置けるかごバッグ。肩がすぐ出せるフレンチスリーブのブラウスの上からカーディガン羽織って行った。

係員が多くて人がうまく流れるようにできている。

接種は一瞬、ほとんど痛くないし気が付いたら終わっていた。インフルエンザの10分の1以下の痛さ。

で、注射はあっという間に終わったけれど、これは百年に一度のパンデミックに人類が挑む歴史的な注射なんだと思うと、感慨があった。

前のスペイン風邪では、父方の祖父の最初の連れ合いが感染して亡くなっている。他の誰もかからなかったのに、もしかしら別の病気だったのかなと思うけど、もう確かめようがない。幼い子供を二人残して24歳で亡くなり、私の祖母が後添えで嫁いだって聞いた。

その頃の治療って、どうだったんだろう。多分、熱冷ます対処療法くらい。何かいい薬があったのでしょうか。なかったかもしれない。運のいい人は生還できてそうでない人は亡くなったのでしょう。

私は今まで、まあ普通にしていれば罹ることないと高をくくっていたけど、先日友達二人の話を聞き、地元でも密かに高齢の感染者が出ているし、医療にアクセスできずにホテルや自宅で待機するとなると、気を引き締めて感染者が出なくなるまで、なるだけ身元の分かっている人以外とは会わないようにしたいと思った。

先日、私より10歳くらい年上の友達が、コロナが収まってももう前みたいな葬式はしなくなるんじゃないのと話していた。私もそう思う。

コロナが終わると、無駄なことを止めて、実質のあることだけをするようになるのでは。経済的に豊かな人は暮らしはそう変わらないけど、そうでない人は厳しくなるのかもしれない。また持つ人と持たない人の格差も広がると思う。持つのはお金と人の縁、そして自分のために使える時間などでしょうか。

経済の回復はやがてできるだろうけど、人と会わずに済ませる暮らしを経験した人が、人との信頼関係を回復してまたみんなで仲良くできるのでしょうか。

恵まれないと感じる人が増えると、極端な排外主義や、ポピュリズム、新興宗教などが流行るんではないでしょうか。どんな経験もいいように生かすことができるといいのでしょうが、とかく人は攻撃する対象を欲しがり、またあり得ないものに救いを求めようとします。中世のペストの時代にお互いを鞭でしばく運動が起きたり、吉村昭の小説ですが、金魚を拝んで空襲をよけるとか。

冷静に、今の時代の医学の成果を受ける、そして人ごみに行かない。私はそうしたいと思います。

次は来月、夫は二回目は具合悪そうでしたか、すぐ治りました。私も何事もないことを願っています。

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つくづく恐ろしい東京オリンピック

2021-06-08 | 断想

近くの公園、スモークツリー。誰かが植えたらしい。


東京オリンピックが近づいています。報道陣などの関係者も続々来日している模様。その報道はほとんど見ませんが。

で、インドからの来日者は隔離も免除、宿舎から自由に出入りして飲食、そのほか濃厚接触する場所へも出入りしているって、本当でしょうか。

田中龍作ジャーナル | インド人のオリンピック放送スタッフ 自由に外食、夜は歌舞伎町に (tanakaryusaku.jp)

これが本当なら、感染が日本で増えたりしませんか。

地方に住む者はパラの終わる9月5日まで(くしくも誕生日だあ~)家にじっとしていようと思ったけど、ぬあんとインドの報道陣、京都や広島を観光するそうで。

宮島でしょうか。宮島もコロナが収まるまで行かない方がよさそう。

オリンピックを楽しみに待たれている方には申し訳ないけど、私は生まれつきの運動音痴で、長じても体育、スポーツを楽しめない人間(唯一歩くのだけは出来ますが)、好きな方とは思い入れも違うのですが、オリンピック、やめられませんか?

震災と原発事故からの復興がテーマだったけど、今はスポーツイベントで元気になってもらってコロナに打ち勝つでしたっけ。

その実は政権の人気取りと、来年の北京オリンピックに負けたくないという見栄かなと愚考するわけです。

もう中国には経済面で負けてるんだから無理しなくてもいいのに。

今朝、IOCの経理担当の責任者の方が鉄道自殺したというニュースが入ってきました。本当に痛ましいことです。その方は何を知って、何に絶望したのでしょうか。何か大きな事件の時には自殺者が出る。今回も自殺者が出た。それだけオリンピックの闇は深そうです。

見たいテレビ番組がなくなって、ニッポン、ニッポンって連呼して、嫌がるものは非国民みたいな言われ方。戦争中もこんなんだったのかなあ。この国で長生きして、この先いいことあるのかなあと今朝は思わされました。

オリンピックを楽しみにされている方、ごめんなさい。あくまでも私の個人的な思いです。

 

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まあこれかな

2021-04-26 | 断想

28枚文書は真っ当なのに…小室圭さんをとにかく糾弾したいワイドショーの事実歪曲とグロテスクな差別性|LITERA/リテラ (lite-ra.com)

勝手に引用させてもらいます。

身の程わきまえずにいいところへ嫁ぐ、いいところから娘さんをお嫁に貰って利益を得るらしい。それが気に入らないのでしょう。

初めに気分ありき。

気に入らない人は、自分の価値観が揺さぶられる、否定されるのが嫌なのでしょうか。

私ですか?

私は全然そう思いません。本人たちが結婚したいのなら、何の問題があるのでしょうか。

いろいろ大変と思いますが、力を合わせて幸せになっていただきたいもの。

マスコミの話だけをうのみにして、全く関係ない人間が悪い印象持たないようにしたいものです。テレビは視聴率、週刊誌は部数を上げるためならきわどいこと、えげつないことも平気で報道するのではないでしょうか。

大衆の劣情におもねるだけのマスコミには、報道一つで人が傷つき、人生が狂わされるその責任の大きさをいつも自覚してもらいたいものです。


私が子供のころ、岡山市の動物園で切符売っているのが昭和天皇のお嬢さんでした。(行ったことないけどそういう話だった)旧大名家に嫁いで、そのお宅が岡山市内で動物園を経営していたころです。動物園はもうなくなったかな。

「おいたわしや」ではなくて、ご本人は案外自由な暮らしを楽しんでいたのではと思う。自分がいて売り上げに貢献するなら、それも励みになっていたのでは。

人権とは何にもおかされない、各自が生まれながらに持っているもの。どこに住んでどんな仕事して、誰と結婚するか、人から強制されるものではありません。

若い二人が幸せになることを、私は願っています。

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