街歩きは八幡堀へ
ここは船で水郷めぐりがある・・
どことなく千葉の佐原に似ているような感じです
八幡城主の豊臣秀次が城の八幡堀を運河として利用することを考え
琵琶湖を往来する荷舟をすべて八幡の町へ寄港させたとの事
安土と同じく楽市楽座があり栄えていたとの事です。
このあたり佐原のような感じ
八幡堀の横に日牟禮八幡宮があるのでお参りに・・
いったのは11日で12日から祭り左義長祭の前日だった・・
続・・・・
街歩きは八幡堀へ
ここは船で水郷めぐりがある・・
どことなく千葉の佐原に似ているような感じです
八幡城主の豊臣秀次が城の八幡堀を運河として利用することを考え
琵琶湖を往来する荷舟をすべて八幡の町へ寄港させたとの事
安土と同じく楽市楽座があり栄えていたとの事です。
このあたり佐原のような感じ
八幡堀の横に日牟禮八幡宮があるのでお参りに・・
いったのは11日で12日から祭り左義長祭の前日だった・・
続・・・・
天気もいいのでJRで近江八幡へ、近くなのにゆっくりと町を見たことがないので
ゆっくりと見て歩いた・・
市内循環バスで小幡でおりて歩き始めます・・
まず池田町洋風住宅街
アメリカ人 ウイリアム・ヴォーリスは1905年にキリスト教の伝教の為に来日八幡商業高校の
英語の教師をしていた、その後は建築家として活躍した・・
ヴォーリスが手掛けた初期の建築物
メンソレータムの近江兄弟社
メンソレータム資料館は閉館中でした・・・
向かい側にはヴォーリスの像が
白雲館
明治10年に八幡東学校として建築された
平成6年に復元 現在は観光案内所になっている
旧八幡郵便局
アンドリュース記念館
旧近江兄弟社 地塩寮
独身青年向けの寮としてつくられた・・
寮の名前はあなたがたは地の塩であるという聖書の言葉からとられたとのことです。
近江八幡教会・・・・
続・・・・