
三陸海岸には明治29年、昭和8年、昭和35年と大きな津波が三陸におそってきてる
この本は当時の記録を克明にしてる本でした・・・
どこが、生きると死ぬの境界線だったのか・・
昭和8年の津波でかなりの村が高台に家を引っ越して建てて住んだとのことですが・・
しかしこの高所移転も年月とともに記憶が薄れていくにつrだんだんと海側に戻っていった。
と記載されていた・・
時がたつというのは怖いものでもあるのですね、いい意味では悲しい出来事などいわゆる
時薬として薄らいでいくけれども、津波の教訓も薄らいでいく・・表裏一体なのだな・
いずれにしても、まだ行方不明者の方々が多数いる中で、そして多くの犠牲者の方々
復興はまだまだ遠いようですが・・
まだまだ鎮魂の時期なのでしょう、この3月11日は時薬として悲しさを乗り越えなければ
ならないでしょうが教訓は忘れないようにしなければならないと痛感しました。
話かわって。
昨日の飲みの時の話、原子力保安院の7:3わけのいつも記者会見ででていた西山審議官
が20代の女と不倫をしてたといのがスポーツ新聞ですっぱ抜かれていた記事で
「KENさんあのおっさん、40台、50台のわれわれに勇気をあたえたよ」
「あんなおっさんでも若い女と浮気してるんやん、そらおれらでもいけるで!て勇気を
もらったおっさんも多いのとちゃうかい」
「おう・・そうかもしれんなあ・・・」
「しかしなんな7:3わけのまじめくさったおっさんのどこがいいのかね・・・」