My Song My Foolish Heart

4月に12年の単身赴任が終わりました!、山が好き、キースジャレットが好き、街道歩きが好き、2012年中山道を完歩しました

三陸海岸大津波

2011-06-30 11:59:29 | 読んだ本

三陸海岸には明治29年、昭和8年、昭和35年と大きな津波が三陸におそってきてる

この本は当時の記録を克明にしてる本でした・・・

どこが、生きると死ぬの境界線だったのか・・

昭和8年の津波でかなりの村が高台に家を引っ越して建てて住んだとのことですが・・

しかしこの高所移転も年月とともに記憶が薄れていくにつrだんだんと海側に戻っていった。

と記載されていた・・

時がたつというのは怖いものでもあるのですね、いい意味では悲しい出来事などいわゆる

時薬として薄らいでいくけれども、津波の教訓も薄らいでいく・・表裏一体なのだな・

いずれにしても、まだ行方不明者の方々が多数いる中で、そして多くの犠牲者の方々

復興はまだまだ遠いようですが・・

まだまだ鎮魂の時期なのでしょう、この3月11日は時薬として悲しさを乗り越えなければ

ならないでしょうが教訓は忘れないようにしなければならないと痛感しました。

話かわって。

昨日の飲みの時の話、原子力保安院の7:3わけのいつも記者会見ででていた西山審議官

が20代の女と不倫をしてたといのがスポーツ新聞ですっぱ抜かれていた記事で

「KENさんあのおっさん、40台、50台のわれわれに勇気をあたえたよ」

「あんなおっさんでも若い女と浮気してるんやん、そらおれらでもいけるで!て勇気を

もらったおっさんも多いのとちゃうかい」

「おう・・そうかもしれんなあ・・・」

「しかしなんな7:3わけのまじめくさったおっさんのどこがいいのかね・・・」
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天狗争乱

2011-06-27 11:54:02 | 読んだ本

幕末 水戸の天狗党のことは知ることは知ってたのですが

あまり詳しくは知らなかったので、それと中山道を歩いていて和田峠を越えたところに

ある水戸浪士の墓や、細久手の旅籠で切腹した部屋がまだあるとか・・中山道ととても

関係の深い、水戸天狗派、ちょうど和宮の下嫁の歩いた中山道と対照的にこの時期

天狗派の進行があったということは興味があるところでした。

桜田門外の変から4年、水戸藩が守旧派に実権を握られた水戸尊攘派は農民の兵も

ふくめて1000名あまりの兵を率いて筑波山に天狗勢を挙兵する。

幕府軍の追討を受け、京都にいる一橋慶喜をたより京都へのぼることを決意

攘夷断行を掲げ中山道を進む・・・

最後は慶喜に見捨てられ敦賀の地で降伏しとらえられ斬首・・

読んでいて、中山道の和田峠での戦い・・とか実際自分が歩いたところでの戦いなど

とても興味深く、歩いた宿場を思い浮かべながら読むことができた・・・

一番びっくりしたのは美濃で幕府軍(大垣藩、彦根藩)の戦いを避けるために

谷汲から越前大野へ冬の山越えを決意し、行軍をした

あのマサヒさんがよく行っていた、落ちると死ぬといわれてる温見峠を越していつた

ところ・・・

・・・・・やがてクラミの大難所にかかった、道の右手には荒々しい岩肌を露出した山が高々とそびえており、切り立った崖になってせまってきてる、道はその中腹を細々と刻まれていた・・

・・・道は右へ左へとくねくね上っている凹凸がはげしく、しかも道に岩が突き出ていて・・・

不意に馬がいななきともに弾薬庫をのせたまま谷底に落下していった。このままでは谷への転落者が増える・・・

先頭行くものたちが黒津村にたどり着いた・・

戸数は14戸でコメは取れず栃の実などで餅にして主食としていた・・

・・・・・・・・・・・・・

あの峠を馬や大砲を引っ張って800名の大行軍をしたとはすごい・・

それにしても、京都で長州と蛤御門の戦いや長州征伐が行われてる時に

幕末の目は西にいくのですが、水戸でもこのような混乱した歴史があったとは

・・ほんとにノーマークだった。
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華頂殿 蓮

2011-06-19 12:36:16 | 京都の寺

青蓮院にはいって最初に華頂殿にはいるのですが・・

入ってすぐに、この鮮やかな襖絵が目に飛び込んんできました。

あまりにも鮮やか

襖絵の題は 蓮

補足で・・・

青の幻想 生命賛歌 極楽浄土

平成16年に木村英輝画伯によって描かれた、ほんとに最近の作品

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青蓮院門跡

2011-06-19 12:32:20 | 京都の寺

青蓮院門跡

院の御所といわれ旧仮御所という、歴史ある格式ある寺です。

小御所というだけあって御簾もさがっています・・

青蓮院門跡

院の御所といわれ旧仮御所という、歴史ある格式ある寺です。

小御所というだけあって御簾もさがっています・・

重要文化財の襖絵 濱松園、住吉具慶の作といわれてる。

江戸時代の代表的な作品

この小御所、しん殿には狩野派の襖絵がすべてあります



この言葉も好きな言葉

一隅を照らす
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阪急そば

2011-06-19 12:30:47 | 昼飯のもんだい

ちゃちゃっと待たずにでてくる店が自分は好きです、待たされるのはいやだな・・・

こんな店が自分の身分相応かもしれないです。

グルメとはほど遠いかもしれませんが、自分はこんなもんです。

庶民の味、そして庶民の自分ですからこんなもんです、

そんで、注文したのはお決まりのきつねうどん。

桜井のきつねうどんにはほど遠いですが、これで十分いけるのです・・・

結構揚げ大きいでしょう

しめて300円なり・・

しかし・・最近立ち食いそば、大阪名物立ち食い串カツ、立ち飲みに女の子の姿を

よく見かける、この前いった大阪駅前第一ビル地下の立ち飲みにOL4人で来てるのには

びっくりした・・これはまさにおっさん化したOL

そして、女の領域であるスイーツにはまるアホ男

おいおいいったいどうなってるねん

男は男らしくいこうぜ!完璧女に負けてるわ・・・
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中山道を歩く 武佐宿~草津宿5

2011-06-18 04:22:34 | 中山道完歩記録(美濃路近江路)

守山宿でゆっくりして・・

さあ。くそ暑い中、草津まで歩くぜベイビー・・・・↘

しかし守山て今まであまりたいした町ではないと勝手に思ってたけど意外と

いい街だった・・勝手なイメージもってたなあ・・ただの京都のベッドタウンと

いうイメージだったけど全然違ったなあ

しかし歩くと暑い・・・・

暑い夏がそこまで来てる~♪とくちずさみながら暑い道を歩きます・・・

途中の公園で一服・・・

頭から水あびてすっきり

それにしてもこの単調な一直線の道は退屈そのもの・・・

栗東にはいったところでこんな看板が

へそ・・・

おなかのへそ?てたしか臍て難しい字だったようなこの感じしらなかった

糸を巻でへそ・・糸巻きの真ん中はあいてるなああれがへそか・・

いずれにしてもこのあたりの住所はへそ・・

なんかこっぱずかしい感じもするな、へそに住んでるというのも・・

草津宿手前の神社で顔を洗い・・・

がぶがぶと水であらって、ほんまにばちあたるなあ・・・

草津宿で・・中山道はなんと商店街のアーケードにはいる!

これが中山道・・・・

きたなか商店街わんさかの日か・・・

アーケードを超えたら東海道との合流地点に到着・・

さてどうするかと思案・・・

もう少し先までいくかどうするか・・

あまりの暑さでここで終了・・

駅前の喫茶店で体を冷やしながら冷こー飲んで一服です。

歩いた歩数が37600歩程度・・・20KMほど

出足が遅かったのでこんなところで終了
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中山道を歩く 武佐宿~草津宿4

2011-06-17 04:27:45 | 中山道完歩記録(美濃路近江路)

守山宿について・・・

どこか涼しいところないかなと探しながら喫茶店でもないかと歩いていると

中山道街道文化交流館なんぞがありました。

さっそくのぞいてみることに

昔の商家をそのまま町で借りてボランテアで運営されてるところで

街道歩きの一服処という感じです。

さっそくボランテイアのおじさんが迎えてもらいました、商家の中はクーラーもないのに

とても涼しい・・

冷えたお茶もだしていただいて・・

さっそくあつかましく、ここでおにぎり食べて、お茶もおかわりして、休憩できました。

もともとは江戸時代はろうそく屋でその後筆屋さんを営んでいたということです。

今日は歩いておられる人は少ないということですが、5月には総勢50名ぐらいの

団体さんがこられたとのことです。

街道歩きももう山登りと同じでツアーがあるんだなあ・・

そういえば木曽でツアーの団体さんとすれ違ったなあ・・

街道歩きを団体で歩いて楽しいかな?もともと昔のままの街道を歩いて昔の風情

と困難さを味わうのがいいのに・・団体で歩いたらまるで大名行列

たまたまこられてたおばさん二人とも話して、千葉の佐倉に住んでて単身赴任で

京都にいる話をしたら、ひとりのおばさんも昔千葉に住んでいてなつかしいて・・

市川の元八幡に住んでたて話がもりあがりました。

守山はほたるの里というのを知りませんでした。

なんでも駅から歩いて10分でほたるが町の中の川で見られるとのことで

明日はほたるの里のイベントがあるとのことです・・

なんかもったいないような気がするのですが、まさか夕暮れまでいることもできないので

草津へ向かって歩きますが・・・

いや・・単調な一直線の道で退屈した・・

続・・・・
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遊行の門

2011-06-16 12:51:12 | 読んだ本

遊行期とは・・・子供に還る時期

いずれは自分もやってくる遊行期・・

赤ん坊のころからいろいろ学び記憶して知識を身につけて成長する・・

そこからだんだん戻っていく時期のこと

子供に還りやがて誕生した場所へ還る・・それを死という・・・

この本の中で氏が朝鮮半島で終戦を迎えた話とかされていた

抜粋ですが

敗戦になった時に「一般市民は軽拳妄動をつつしみ、現地にとどまれ」と

ラジオ放送が呼びかけていた

そしてひどい目にあった、食べるものもなく着の身きのまま逃げてきた

利口な連中はさっさと逃げ出してしまったのだった。

その夏の経験が今も後遺症として私の中に残っている・・・

もしなにか大きな異変があったとき、テレビやラジオが「安心して現地にとどまる

ように」と伝えたらすぐにでも脱出するだろう。

政府やマスコミの指示することの反対の行動をとれば、まず間違いない・・・

・・・抜粋です。

まるで、今の日本そのものではないか・・・

「今すぐ健康に影響はない、安心してください」

そして噂では東京の一部のセレブたちは関西に逃げているとのことで

まさに今そのもの

それと本では

一億躁状態から総うつの時代へと書かれてある・・

うつという重い荷物を背負って坂道を歩くごとく覚悟する・・・

鬱の空気がひろがってる今の時代、うつうつと生きていくのは当たり前

だという気もします。

反対にすべてがバラ色でノー天気に生きてる人がいたら

反対に人としてどうなんだろうかと思える時代でもあるなと思います。
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青蓮院 相阿弥の庭

2011-06-15 13:02:35 | 京都の寺

室町時代の庭師 相阿弥作の庭

しばし座りながら時間をすごす・・・・何もいらないただ庭を見てるだけの時間

滝から流れる水が池に流れる、小さな海 島

そしてやわらかな感じのする築山

全体にやわらかな感じでのびのびとした庭で

門跡の寺だけあって、天皇がくる寺だけあって御所風の庭です
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鯖のへしこ

2011-06-15 12:50:12 | 単身赴任の日々

へしこと聴いたら・・・いわしのへしことしか思いつかなかったのですが

生まれてはじめて鯖のへしこを食べました

うーん、これはきくな・・日本酒とばっちりあう 

うまい!!

これで白ご飯食べたらいけるだろうな、お茶漬けにしてもいいかも

えびす丸(大阪第三ビル)の主人作の一品

いわしのへしこのぬかからいイメージではなくからいけど鯖の味がしっかりしてる

し味噌もうまくからまってる。

おまけにこれもいける・・これも初めて食べる

鰆の燻製

さすが、元北海道の漁の仕事されてた主人ならではの味・・
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桜井のきつね丼

2011-06-15 11:54:57 | 昼飯のもんだい

東大阪 菱屋西あたりの司馬遼太郎さんが通ったうどん屋の桜井さんにまた行きました。

今日は昼のセット

きつね丼セット

だしのしみたおあげとふんわり玉子のマッチがたまらん、うまい・・・

きつね丼てたぶん関西だけだと思いますが・・・

こどものころ、母親によく作ってもらいました、油揚げ大好きなので

油揚げのたいたのだけでご飯食べられるぐらい好きです。

やっぱり天ぷらよりきつねがいいなあ・・・

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カナヤ 29年前の想い出

2011-06-14 12:47:58 | 山の思い出
学生の夏、北アルプスから帰ってきて、少し暇してたので

友人と昼からJRで醒ヶ井駅でおりて歩いて廃村榑が畑で泊まろうということで

山小屋のカナヤさんの前でテントを張らしてもらいました。

たしか整地されてる場所で水場も全部あり、たしか300円か500円で張ったと記憶

しています。

5月にマサヒさんと霊仙山に登る時にカナヤの主人と話して写真のせると約束してたのですが

遅くなりましたが写真を載せます。

夜、カナヤのおばあさんとおかあさんとおまごさん(小学3年ぐらい)とで花火を夜したのを

覚えてます・・・

なんか楽しい時間でした、田舎に帰って花火してるような感じでした。

29年前の自分です・・・写真がピンボケですが・・・

親子三世代・・


なつかしいなあ・・・

29年前か・・
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青蓮院 小堀遠州の庭

2011-06-12 12:45:53 | 京都の寺

青蓮院門跡に初めていきました、やはりこの寺は庭が有名

庭の奥は江戸時代 小堀遠州の作といわれる霧島の庭、緑が鮮やかで

山裾をぐるっと回るように作られた庭

庭と奥の好文亭とのコントラストがすばらしい・・・

霧島の庭の山裾から見る青蓮院

新緑の庭もほんとに鮮やかで美しい・・

庭はほんとに最近はまってしまった感じです・・
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今年の初鱧

2011-06-11 13:01:09 | ふるさと京都はなし2

京都の夏は鱧

今年初の鱧を頂きました、鱧の焼いたのが残りものできゅうりと酢のもので

頂きました。

鱧の焼き物は大好物です、子供の頃はあまり好きでもなかったのですが・・

実家ではうな丼の代わりに鱧丼で頂いてました。

鱧はとても高級なイメージがあるようですが、京都では特に高級な感じでもなく

夏の魚として普通に食べてました、京都を離れて無性に鱧を食べたくなることも

多かったです。

おまけで、茨木屋のしんじょうであんかけ、生姜をおとして頂きました

これも夏の味・・・

しかし・・・なあ・・

京都の料理屋はなんでこんなに高いのかなと思うのですが普通に京都で魚屋で

買えばさほどでもないのに・・

イメージだけで値段が高くなってるのでしょうね

特に京のおばんざいて・・子供のころに普通に家で食べてた安上がりの食事なのに

イメージアップして高い値段で提供してる店の多いこと・・・

完璧ぼったくり商売やな・・と母親がいってました。

おまけにあんな京都の町家みたいなじじむさいところで食事してなにがいいのやろか?

といっていました。

たしかにそらそうで実家がいわゆる町家ですから当然ですが・・
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中山道を歩く 武佐宿~草津宿 2

2011-06-07 04:32:22 | 中山道完歩記録(美濃路近江路)
とにかく・・・

くそ暑い中、国道8号線を歩きます・・まさに苦行やというかだれも歩いてないし

ほんま変態やで・・・

だらだら歩いて間宿の鏡宿に到着・・

といっても国道沿いで・・面影はなしというところです。

ということで、本陣跡もこんな感じでなにもなし

あるのは看板のみ・・・・

これはないでしょう・・・

これ看板つけない方がいいんとちゃうかい・・

ここ鏡宿は源義経が元服した場所ということらしいです。


白木屋というところに泊まり元服をしたとのことです

義経の烏帽子親はだれやったかな・・・と記憶があいまい。

で検索したら、烏帽子親はいないそうです

というのも奥州藤原秀衡にまねかれて金売り吉次の取り次ぎで

いく最中、元服姿でないと牛若丸と見つかるかもしれないということで

早い目にこの地でやったとのことです・・

すぐ行くと鏡神社・・ここの本殿は重要文化財みたいです

とにかく木立がすずしいしここで涼をとることにしました。

しばし休憩・・・

水で清めるところ(何というのか忘れた)で顔を洗い頭を冷やしてじゃぶじゃぶ水を使いました

神様すんません、こんな使い方したらあきませんね。

義経烏帽子掛けの松、ほんまかうそかはわかりませんが・・・そういうことです。

しばらく国道を歩き、途中から一般道へ・・

暑さはかわりません・・・
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